2021年12月28日火曜日

夢売る仕事

 ものがなくても、それに価値があれば対価としてお金が発生する。

 サービスだったり、情報だったり、安心だったり、丹精こめて作り上げた空気感だったり、興奮や感動だったり。
 そういったものは形ないのに、形あるお金で支払うのだ。よく考えると酔狂だ。
 でも、ものはいつか壊れてなくなる有限と考えるなら、そういった形ないものは一生ものになるかもなのだ。人生に彩りをあたえてくれるかもなのだ。

 さて、実在のものに金を支払うのと夢に金をつぎ込むのどちらが得なだろう。

 遥かむかしの物々交換は利にかなっている。
 でも、この異常に発展した社会ではものが、その‘物’が存在しないことがある。
 クレジット、ビットコインなんて形ないお金に形ない商品ものを交換するんだから、世の中なんてほぼ幻想だ。



 さて、この前。自分は夢にお金を支払った。いわゆる投資ってやつである…ギャンブルともいうが。
 それはいろんなことを経て、叶えたかった夢であった。
 しかし、本当偶然にその夢をつかみそうだった。それは一生もの。こんな強運すごい幸せとかんじた。甘言と残酷は刺激的な薬物だった。
 しかし、大金が必要だった。
自分がもっている金額じゃあ足りないほどだ。
 最初は母の力も借りて借金しつつ支払うつもりだった。
 だが、その夢との契約主は最初話を変えてきて、だんだんかかる金が増えてきた。もちろん、初期の自己投資はいとわないつもりだったし、そんな夢みるための残酷な現実でさえ受け入れる用意も出来てきた。
 そう、自分はたまたまつかんだ夢でそのためならば、客扱いされようがカモ扱いされようがと、おもっていた。
 捨て身ってやつである。
 自分は運命論者なので、そんな話、偶然を掴みとらなきゃとおもった。夢に金をかけてもいいと、母の反対を押しきって借金したのだ。

 しかしたった一週間、そんな夢掴もうとする夢から覚めた。

 そのきっかけは、受け付けてくれた親切な仲介者の作品。
見てしまったのだ。
 その人自身である絵を見てしまったら最後、もう、さっきまであった騙されていようがやり抜いてやるって気持ちがぐらついた。みるみるしぼんでいく。
 でも、かなしきかな。まだこの時、そのぐらついた気持ちを振り払おうと逃げ道がないように、後戻りできないように、お金はカード支払ってしまったあとだった。

 さて、借金のあと。
借金してしまったら仕方がない、と、割りきり夢から覚める絵を描いた人たちに大金を支払い続けて夢を掴む賭にでるか。
 自分が目の当たりにしたものを信じて夢の縁切りのため(キャンセル料が発生してるのだ)その金を支払うか。どちらにしたって支払うのだ。

……結果、自分は夢のキャンセル料を支払うことにした。
 借金したあとでも自分に嘘をつけなかった。
 しかも、借金した直後、影が怪しくたちこめて夢から覚めかけてるなか、ちょうどそのとき、同居人おもちさんが電話で力説でしてくれた。ちょっとまてよと。すごく愛をかんじた。
 それは、お金がかけようがなかった。かけても手に入れられるものではなかった。

 夢を見続けようが、覚めようが両方ともなんにも実在してない。それを覚めさせたものも、実態はない。たしかなものなんてない。 
それがなんともおかしな話だ。
 

 馬鹿の世迷言。
 私は、ネギ背負ってタレ塗りたくり炭火の前に立っている鴨だ。それぐらい、世間知らず。
 それでも生きてこれたのは、一人ではなかったから。
 この一週間、夢の中さまよって愛と経験と制作意欲と、自分は色々手にはいった。
 都合のいい話だが、借金はある意味、キャンセル料だけではないものになった。
  
 こんなことはもうしたくないけれど、いい投資だったのではないだろうか。



  

2021年12月16日木曜日

猪突猛進

 考える前に行動している。

 それが自分の性質だった。
 あんまり考えると、恐怖がするりと入り込んでくる気がするのだ。だから、立ち止まっていてもなにも始まらないという思想が、頭を支配している。

 あとは、幼少期に話すのが大変だった。うちなる世界に入り込むのは得意で、夢見がちになってしまった。これは能力といえよう。
 同年代が反射と反応でポンポン言葉を投げ合っているのに対し、投げられた言葉を自身の理解できる言葉に変換しないと言葉がでてでてこないのだ。
 だから自分が学生時代などに同年代が何をいってるのかさっぱりだったし、話してもつまらないのでほとんど話さなかった。
 対人がゆっくり時間がかかるのに性質がそんなんだから、自分が勝手にとっとと動くがあたりまえとなっていた。
 人と接することが増えこれが会話のやり方かと、ようやく覚えて表面上の会話、自分の考えを話すのも何の気なしにできるようになったが、身体が勝手に動こうとするのは、変わっていなかった。
 もともと、戦闘体質なのもある。ビビりだが、挑まれ、攻撃されたらし返す性格。前しか見ない戦闘体質。ある意味最悪だ。大人になって「男だったら殴ってた」と何回か言われたことがある。自分のことながらわらってしまう。 
 この戦闘についていうならば、対人ではなく、目の前に転がってきた事象に対して、である。なのに殴られ予備軍なのだ。
 
 この短い人生この中でそれで、死にっぱぐれたことが何度もある。
 交通事故、大病、借金、仕事や、学校の人間関係。
 思い返すと社会的には全然たいしたことはなし、大事にはなっていなかったが、あまりに生き急ぎすぎている。
 そう、自分はそんなでも生きていけるぐらい守られていたのだ。

 この前、家族や同居人になんの相談もなしに人生の大きな決断をしてしまった。
 母ととことん相談した上で勝手に決めたのだ。もちろん私の人生だが、まわりに影響がでないわけではない。かなり、きわどい選択をしてしまったのだ。
 でもその時にはもう、妄想大特急だったのだ。猪突猛進。まさに、猪。
 しかし、自分よりはるかに対人スキルが低く社会に厭世感を抱き生活している、弱い同居人のおもちさんにこれでもかってぐらい必死に止められた。泣きながらその選択の間違いを諭されたのだ。
 それは、愛だった。とても、大事にしてくれていることがわかったのだ。
 ゆめみがちで社会性が縁遠い自分。しかし、それでも生きていかなければならなない。
 だから無理やり社会性をつくろうとしたのだ。しかし、結果がとんでもないことになってしまった。そんな苦しい状況になっているとこを、今まで無関心でいることしかできなかったおもちさんが、必死で関係をつくろうとして語りかけてくれたことが何より感動してしまったのだ。
 突っ走るのちょっとまてよっ、とおもちさんが必死でとめてくれてやっと止まりました。。
 その時には、母との信頼関係は崩れてるし、1日で借金をしまくったあと。ボロボロだったが、それでも学んだこともいっぱいあった。

 自分は大事にされすぎて馬鹿だが、仕方がない。それを受け止めるしか。それに、側にいて頼りにできる存在がいるだけで自分はかなり、幸せだ。

 大事され、することはなかなか手にすることは出来ないのではないだろうか。それは欲しいとおもっても手に入らない。今回はそんなことを思ったのだった。

2021年12月10日金曜日

悪性腫瘍とどこまでも7

 手術、無事成功。

 朝がきて、看護師さんたちが様子を見に来る。手術箇所がどうなってるかわからないが傷口からチューブがぶっ刺さってるのはちょっと引いた。説明によると傷口からしみしみ液(通称しみしみ)が出るため点滴の袋みたいなものに血も混ざった液が、たまってる。
 あんまりみないようにした。あとは発泡スチロールの塊みたいなものを胸と背中にあてられてた。

 看護師さんはそれらのチェックにきてくれたのだ。朝はもう、お水飲んでよかったので飲んでいたがご飯は昼からだった。待ち遠しい…。
 夜はよく眠れなかったので昼ご飯までうとうとしていた。母が昼から来てくれるとのことで待っているとすぐお昼になった。麻酔のせいもあるのか時間感覚が全然ないのだ。
 昼は温かいうどんだった気がする。そんなことがいちいち嬉しかった。なんせ、昨日からなにも食べてないのだから。こんなに食べなかったのは人生初。
 いざさっそく食べて、その時のおいしさときたら………単純だけど身体が欲しがっていたのだ。全部は食べられなかったけれどおいしくいただいた。
 が、あまかった。
 おいしさが、わかるのに身体が受けつけない。つまりもどしました。全部。すっきり。看護師さんにナースコールで呼び出して急いで桶を用意してくれたので大惨事にはならなかった。看護師も、手馴れたもので「よくあるんですよー」だって。
 あ、そうなんですね。
 母が到着。ケーキをもおみやげに。素晴らしきかなまっ赤なイチゴのケーキ。もちろん食べました。そしたらすんなり戻さず食べれました。昼ごはんはもどしてしまったがケーキはおいしくいただいたことをいうと「やっぱ術後の最初の食事はケーキだね」。…はい、おいしかったです。

 その日のうちに身体がどうなっているが把握できるぐらいまで回復していた。今使用している糸は傷口がなくなるのと同じようになくなってしまうとか。医療の進歩だ、と感銘。あと、先生が術前に話してくれたけれど、筋肉の一部を切除したため身体が左右対称じゃなくなったとか。

 そして、母から聞いた一番驚いた話。
 まさかの昨日の手術中に、大規模な停電になっていたらしい。東京電力の火災?とかなんとか。
 まさに、胸がひらかれているその時停電にあい、たまたま一階にいた母はエレベーターが使えなくなった現場を目撃したとか。
 術後、待合室に来た先生はヘロヘロで、なんと懐中電灯をあてながら手術してくれたらしい。他の術中の患者さんのご家族も待合室にいたが、自分よりも難しい手術をしている患者さんは切ったがなにもせず、身体を縫い合わせたらしい。
 なんか、あのブラックアウトしてる間に世界は激変していた。
 そんな中の手術、先生、ホントにありがとうございます。


 手術後は糸でひっぱられ動かない身体を動かしもとの柔らかさまで戻す。最近の治療そうらしい、入院日数も少なくし、身体がいたいからと言って術前より身体が硬くなるのはあり得ないと看護師さんに念押しされた。はやく日常生活になれさせるらしい。
 しかも、この後、控えている放射線治療は両手万歳のポーズさせられるのだそうで身体をもとの状態にしてと強くいわれました。
 こっちとしても絵がはやく描きたいので一生懸命もとに戻しました。
 そしてその一貫で術後はリンパマッサージをするようにとのすすめでレクチャーを受けることになる。
 術後、リンパ節を切除した人はとくにリンパ浮腫になりやすいとか。傷をおったほうとは逆のほうがそれを補うため、負担がかかりリンパが、流れにくくなると看護師さんがいっていた。
 やさーしく三本の指で…ゆーっくりながしていく。たしかにずっと同じ体勢や絵を描き続けていると身体が痺れたように痛いのだ。身体の一部がないということは、そこを補い負担が他のところにかかる。こういうことかと納得。
 
 入院していて3日ぐらいたつ。これは診察している時からだが、まっ赤な格好しているのでいろんな人に話しかけられる。
 回診が早朝行われるのだが多勢のお医者さんが狭い病室にくるのはこわい。そこでもとにかく病気とは関係ないことを話される。
 チャキチャキの手術してくれた女医さんは「笑顔がいい」っていってくれるし、外科の先生はちょくちょく顔をみせてくれてお話しした。赤い絵をとても気にいってくれた。
 お見舞いにきた同居人のおもちさんをお兄ちゃんと勘違いしていたのは面白かった。
 看護師さんはもちろん、患者さんにめちゃくちゃ話しかけられる。着ている服のことはもちろん、術後にはイヤリングとかつけてキャップは自前だったので異質だったのだろう。あとはなんの仕事しているか、病室で描いている絵とかを見て話すことがかなりあった。
 歩くハッピー野郎である。
 血液の癌で、ものすごく辛そうなおばあちゃんに話しかけられた時は、ちょっとおどろいた。


 ほとんどベッドで絵を描いているだけだがたまにアイスを買いに散歩したりする。診察終了の時刻にアイスを食べるのは最高だ。
 夜中眠れない時は前回肺炎同様、やはり夜景を見に散歩する。18Fのラウンジで見る夜景はすばらしい。ただ、隠れてラウンジにいたため警備員の人にかちあい互いに驚いてしまった。
 驚いただけでほっといてくれるのは優しい。
 病院内は異質な空間でとても面白いのだ。
 おもちさんは仕事の帰り、母は毎日きてくれた。おもちさんは成城石井で、もーもーちゃーちゃーとフルーツをいつも買ってきてくれるし、母は一緒に夕食を食べたりした。仕事終わりだから短い時間しかいられないが、とても嬉しかった。

 病気を楽しみたかったし、非日常はとても有意義だった。

 入院最後の日には美しい日の出を18Fラウンジでみた。
 こうして長くて短い入院生活が終わりを告げた。

2021年12月5日日曜日

黒は色じゃあない

 高校生のころ。自分は美術系の総合高校に通っていて学んでいた。
 そこでデザインの授業だったか、個別講評のときだったか言われたのが
「黒は色じゃない」
という言葉だった。
えっ?である。いや、
はあ?ですね。

 当日の自分の作品は黒が基調だったのだ。黒を使えるなら、つまらないデザイン課題をやってもいいと思っていた。その矢先にこの言葉である。
 いや、いいたいことはわかる。黒は影と光を表してデッサンの……いや、わかんないかもしれない。
なんで?である。だとしたら死を表現してる喪服の色は?ガブリエル・シャネルが舞踏会に着たドレス色は?
 あれは何色?
デザインや美学生絵画で黒をつかうのはよくないって意味かもしれない。それも、わけわからん。
 黒はすごく強い。画面で使うって覚悟をもってやらなきゃ脚引っ張る。下手に使うとそこだけ浮いてみえる。絵のバランスがとれないってやつである。あと、うまく黒を使うことができる人であるなら作品は何でもカッコよくみえるのだ。それは理解できる。

 しかし、それ関係なく学生時代の自分は黒が好きだった。黒色を使い自分を表現したかったのだ。
 小学校6年のとき、自分に絶望し自分という存在を消すのに黒はやさしく寄り添ってくれた。それきっかけで黒に出会い、黒の魅力にとりつかれ描きたいと思うのはいけないことなのか?技術がないから?色と構成の勉強であるデザインの授業で色でない黒を下手に使うのはいけないことだから?

 それが今でもわからない。
そもそも、絵を描くテクニックに描きたいものが邪魔されていいものなんだろうか。学生は未熟だからといって好きなものを捨てなければならないのか。
 確かに自分の予備校時代もテクニックは半人前。絵もばたばた。なにいわれても仕方がない。
 でも、描きたいものがあった。あるのに受験美術ではそれが後まわしにされ、描くことも許されないという大前提は、なんなんだろうか。

 それってアートなんだろうか。
美術ってなんだろうか。
未だにそれがわからない。








2021年11月23日火曜日

悪性腫瘍とどこまでも6

 手術直前。
 全摘か、部分摘出か。


 10月半ば頃。入院日、肺炎の時とは違って厳かな気分で病院入口を通った。よく院内が観察できる。
 やわらかい日差しだった。かかりつけの病院は入口付近の窓が大きいからすごく明るい。そこは気に入っている箇所のひとつだ。
 今回の入院は大部屋で4ベッドだった。大人数はちょっと不安だった。

 肺炎の時とは違う階に通された。この病院、高層ビルのような造りだからか、すごく広々していて天界に連れていかれるよな感じがするのだするのだ。
 今回はなんの気なしに部屋の片付けをし、前回の入院時に経験したことをふまえ、目にみえるものを赤くしておいた(画材いれとかパジャマとか)。赤くないと落ち着かないのだ。赤命。
 看護師さんの院内説明もそこそこ、手術に必要なことのチェックをした。
 まず、パジャマ。当たり前だがワンピース型はだめ。これは手術関係なく病院の検査の時はかなり脱がされるので上下別のもの。これはひっかからなかったけど、真っ赤な新品のパジャマをきてきたので血とかで汚れるかも……といってくださったが、こっちとしては別に汚れても屁でもないので、「大丈夫です」とつたえると妙な顔をしていた。はは。
 つぎは爪。なんでも手術中、爪の様子とかで状態をチェックするらしく、その時の保護のため透明のマニキュアをはがさなければならなかった。除光液は匂いがきついため、別の会議室みたいなところが用意され、わざわざ除光液を買ってきてとりのぞいた。恐るべしマニキュア。
 さて、あとはなんとかなんだかんだクリアし落ち着いた頃。看護師さんと一緒に外科の先生が同意書をもってやってきた。
 全摘か部分かの選択である。

 そして、自分がだした結論は、
やっぱり部分摘出で転移が見られるようなら全摘、というものにした。
だって、もったいない気がしたから。最後の母の言葉がききましたね。それに転移してからでも遅くないかなと。

 それで同意書にサインし、予定をざっくり説明され(予定表を見せられたが、なにがいちばんショックってまさかのこの日の夜から朝昼晩、翌日の朝まで食べれないのだ。まぁ水は飲んでよかったのだけれど)
 薬剤師や、再度の手術前の状態チェックを終わられせ母たちが帰ったあとに今度は手術のマーキングをする。とにかくばたばた。手術が大変なんだなと実感しました。マーキングしてくれた先生は、外科の先生の補佐役みたいで、ベテランチャキチャキですって感じの女の先生だった(関西弁が似合う)
 先生たちを見ていておもったのだが、内科の先生は落ち着いている雰囲気があり、淡々と説明してくれる印象があったのに対し、外科の先生はとってもアクティブ。説明も軽い。そんな違いがおもしろい。
 「きんちょうしてる?そりゃするよねー」なんて話かけられた。
「手術のときわたしも立ち合うからねー」なんてはなしも。見てい元気になる人だった。

 夜、腹ペコをおさえつつ消灯。だが眠れない。いや、緊張してるんじゃなく身体が疲れてないので全然眠くないのだ。その後何度も寝返りをうち、散歩してやっと寝られた。

 次の日。手術日。真っ白なひかりが室内を包み込んでいる。看護師さんが来る前から支度し始めた(いつもそうなってしまう)。昼から手術のため朝ごはんなし、くう~。看護師さんたちが検温等すませ、同室の人たちの朝ごはんの匂いを嗅ぎつつ、家族をまった。
 手術には仰々しいが家族全員で立ち合うそうで朝早く近くのファミレスでたべてからきてくれた。ありがたい。
 昼まで他愛もない話をしてると、呼び出される。看護師さんに手術のため手術着を用意してもらい着替え、手術室の階にいくためエレベーターへ。
 変な話、そこまで見送ってくれた家族を見てそこではじめて「手術するんだな」って感覚があった。それまでなんか浮き雲のようだった。いや、そのときもそんな感じだったけど。

 そこからはなんだか映画のようだった。清潔で静かで重々しく、鉄の扉によって絶対しることのない、こんなところに人間がいていいものかって世界が広がっていた。厳かだった。
 気がついたとには、おもい鉄の扉の前、先生、看護師さんたちがかろうじて目だけが覗いた、いわゆるオペの格好、キャップとマスク、スモッグ姿であらわれた。
 しかも10人ぐらいいたんじゃないかな。たった一人の癌にこれだけの人数が必要なのかと、何度もあたまをさげてしまった。
 目だけだけど主治医と、マーキングしてくれたチャキチャキの女医さんも判別できた。笑顔だった。みんなさんも笑顔だった。
 
 そして、いざ手術室内へ。ベットに寝かされるとすごくまぶしい。とにかくまぶしい。もはや、誰の顔も判別できない。
 なんか話しかけられたがよく覚えていない。麻酔がうたれた。数を数えるように言われる。数えてる途中ブラックアウトした。
 と、次の瞬間起こされた。ぼーっとしてなんにも考えられない。ただ、「大丈夫?手術成功したよー」なんて言われた。うそっ、もう?はやっ!っていいたかった気がする。でも、口は重いし、全身が鈍いし次の瞬間には病室で家族や看護師さんに見守られてた。
 母に「痛い?大丈夫?」って聞かれた。「うん、だいじょうぶ」っていつもみたいに答えられた、でも、身体ごと痛みの得たいのしれない物体の中にはいっていて、耐えきれなかった。「うそ、いたい」ってすぐに口をついたような気がする。その唇と喉がとてつもなく渇いていた。
 家族は「そうだよね」っていっていた気がする。「今日はかえるね」それでもう記憶がない。再び深く深くおちた。
 夜中だとおもう。おきたての身体がうごかない。ちょっとずつは動かせた。たしか、さっき看護師さんに麻酔の説明されたような気がするけど…全然覚えてない。てか、めちゃくちゃ痛い。いたいのは色々経験したが、これははじめて。
 ああこれがからだの一部をとられたということかと、その時はじめて実感した。
 動けないからどうなってるかわからないが、身体がいろんなものにつながっている。この後しばらくいたい夜をすごした。
 3時間ごとに看護師さんが様子見してくれて、そのたび起きる。
 朝も近くなった頃、看護師さんに「麻酔が減ってないですね」と言われた。やっと気がついた。というか思い出した。麻酔はナースコールみたいに押せばつながっているチューブからながれてくるようになってたのだ。そんな説明もされてた気がする。しかし、いってる意味わからなかったため、しらないで一夜過ごしてしまった。ただただ残念である。
 麻酔のやり方がわかりやっと楽になってきた(もっと早く気づけばよかった…)。

 こうして、長いながい夜があけていった。



2021年11月16日火曜日

甘い蜜の部屋 +森茉莉

 中学生の頃、絵の参考にするためゴシックロリータバイブルを買い、読みふけっていたのが懐かしい…。

 もっぱら、その頃雑誌の華やかなカラーページしか読まなかったので、コラムなぞというものは触れもしなかった。
 が、月日が経ち、なんとなしにふとそのコラムを目にすることがあった。そのコラムは、夢みるロリータ少女のバイブルとなりそうな小説の紹介だった。そこに名がのっていたのが‘甘い蜜の部屋’である。
 
 そのあらすじは
 「美少女モイラと父親との愛の蜜を貯えた部屋。モイラが成長するにつれその美しさはより一層増し、出会う男たちを惑わしていく…」
 という内容だった気がする。
 いやあ、食いついたね。当時の自分。美少女、父、愛の甘い蜜、に惹かれてしまったのだ。ははは。

 年頃の自分を食らいつかせるには、十分すぎる言葉綴り。
 そして、なんとかためし読みできないかと高校の図書館で駄目もとで探す。

 そしたら、探せばあるもんだね。そう、自分の通っていた高校はマンモス校なのだった。図書館もデカイ。しかも、目当ての本は、全集の一冊で表紙は美しくと重厚ある本だった。手にしたときのかっこよさ。
 そう、森鴎外の娘、森茉莉さんとのはじめての出会いだった。

 一時間半かけて通学しなければならないなか、めちゃくちゃ重たい鞄にその全集も御伴に。でもその重さが苦にならないほどの可憐な本だった。
 最初は、なんとも言葉にしてよいかわからずただ、言葉の抜粋だけで物語を咀嚼した。それだけ森さんの文章が個性的なのだ。たどたどしく、彼女がおもい描き見たままの風景が文章になってる。ただ、文章中に流れている空気はきれいだった。
 このあとで、あとがきとかエッセイも読みあさったけれど、彼女はすっごくこだわりをもって生きた人で、それはまさしくアートだった。本物の贅沢を知る数少ない人物かもしれない。父との愛、彼女のナルシシズムあってこそ、男性では描けない真の美少女が、誕生したのだとおもう。
 それが主人公モイラ。この美少女モイラは、特に幼少期の森さん自身の思い出が題材なのだ。いわば、森さんの化身。彼女の、美しさ至上主義の性格がモイラという夢を作り上げた。その贅沢な生活や人間模様、少女の見る幻想の細やかな描写といったらもう……。なんといってもこれを書き上げるのに8年以上かけたらしい(そもそも文章を書くのはのろまだったし、面倒くさがりだったそうだ)。

 彼女には生涯、夢みつづけられる才能があったのだ。
 学生時代、美少女やわがままな世界を描くのに、どれだけ役にたっただろうかわからない。それだけ、当時の自分は、彼女の世界に溺れたいとおもったのだ。
 
 そう、この本はいわば自分にとってバイブルである。



2021年11月12日金曜日

あなたは女生徒 +太宰治の女生徒について

 彼の作品に初めて触れたのは、高校生1年生の夏。


 読書感想文の課題図書のひとつだった。‘女生徒’。その言葉だけに惹かれた。
 もうそのから、美少女主義だった自分にとって学校のつまらない読書感想文に華がそえられた気分…単純である。
 反応が題名が先、作者があとになってしまったが、確認するとなんとあの太宰治。当時から偏愛傾向な読書だったので、これがはじめましてである。

 しかし、驚いた。美術部の活動で夏休みだってのに電車で暑いなかわざわざ赴く際、お供に読んでいた。
 あまりにも可愛らしく流れるような心理描写……電車の中に関わらず、彼女の中に入り込んでしまった。 
 えっ、なに?これ書いたの女性?ってぐらい。いや、繊細な男性だからこその描写かも。
 美少女を描いている身なので、そういうのを気にしてしまうのだが、おんなのこ描くのって男性のほうがうまいと思うのだ(勝手な思いです)。
 なんかその男性のほうが客観的目線でここ、絶妙かわいい!!ってところをピンポイントに抑えられてる気がするのだ。目とか、手とか、ビミョーな表情とか。そう、色香が美味しい………なんか変態っぽい。
 女性は自分の内面がでちゃうのかなーって。でも作品ってそもそも意識するにしろしないにしろ、自分なのよね。でも、女性の作品って内面的だなーって感じる。

 それにしたって、太宰治が作り出したの女生徒は、あまりにもおんなのこのそれである。しかも、なんでもないふりをしながらあの年頃特有の、ジェットコースターなみ感情の起伏の描写はすごーく共感してしまった。とにかく彼女の心の中は彩り豊かな言葉で、かわいく儚く脆い。
 「この風呂敷を褒めてくれたかたに、お嫁にいく」なんてなんてまぁ!である。
 
 それで、この話がいたく気に入り一回だけのつもりが、何回も読むことになる。
 美術部のコンクール課題である‘本をもとに絵を描く’っていうのにも女生徒を題材にした。なんでもない日常を少女の目を通すと色っぽくなる。それこそ男の妄想かもだが。
 結果、私的趣味色つよめで受からなかったけど。でも、満足。

 結局、何度も読みすぎて買うことになる。
 それで他の作品も読んでみた。
‘きりぎりす’は、めっちゃ身に積まされる話だった。‘饗応夫人’は転がるような喜劇と悲劇だった。
 なんともいえない哀愁は全作品にながれている。そんな感じがした。
 彼の書く作品の女性たちは、切なさ愛らしさ賢さそして、愚かさと寂しさその漂う感じは他では見たことない………日本画の色っぽい女性像を、言葉で表現できることが感銘である。

 「悪いのは、あなただ」

 女生徒の言い放ったその言葉が好きである。




2021年11月8日月曜日

悪性腫瘍とどこまでも5

 前回、抗がん剤投与のため、免疫が下がり肺炎になってしまい生死の境を経験したがが、なんとか生還。面白い入院体験をし、満足しながら無事退院した。

 その後。

 肺炎入院のため一時ストップしていた抗がん剤がスタートした。
 が、今までどおり病院に電車で行き帰りする体力がなくなってしまったのと、またいつどこで感染するかわからないのでもっぱら車の移動になった。

 車の移動は面白い。自分と関係なく世界が動く。投与のあと車で、コンビニで買ったスイーツを食べれるし。プリンとかアイスとか。まだ味覚異常はあるし舌はざらざらするしで、選り好んでたべるが、車で食べるスイーツはなんか特別感がある。その後すぐ寝ることもできる。贅沢。
 で、抗がん剤投与でベッドでの投与も経験した。興奮して全然寝れんかった。相変わらず仕事熱心な看護師さんたちが懸命に働いている。
 抗がん剤はもう投与なれしてるけど、あの匂いだけは慣れんかった。アルコールのような、またそれとも違うような喉まで締め付けてくる匂い。
吐き気がする。投与されると身体がそれにみたされるのが直にわかって、流そうと水を大量に飲んだ。そう、抗がん剤をうつと鼻も異常に敏感になるのだ。病院内では見舞いの花束禁止。いたるところに注意喚起のポスターが張ってある。最初そのポスターみたときすごいなっておもったけど事実、病院のエレベーターにのり、たまたまいた見舞い客の香水が強すぎて吐き気が襲ってきた。注意喚起、納得である。

 あとは、医師の投薬前の説明してくれたが、抗がん剤うつと後遺症としてのこるかもしれない手足の痺れがあるそうで。実際痺れが起こったが、あんまり激しくないので気にしていなかった。しかし、絵を描き続けていたり、掃除機かけたりすると、痺れが激しくなり、普段は寝てればなおるのだが、あるときは寝てても辛くてさすがに看護師である母にマッサージを頼んだ。するとすごく痛んだ身体がゆっくり治っていった。なぜか涙してしまった。

 最後の抗がん剤はまさかの自分の誕生日だった。抗がん剤のあとにはよく、近くの美味しい定食屋で、がん治療しはじめてから好物になった、金目鯛の煮付けをたべた。すごく味わい深い。
 いつの間にかあっという間に1年過ぎている。今まで、抗がん剤治療もたのしくしてきたが、やっぱりもう射たなくていいっていうのが一番清々しかった。たぶん、抗がん剤で弱ってしまう人がいてもおかしくはない。それぐらい大変だった。


 そして、抗がん剤の効果の確認のために検査し、久しぶりに外科の先生の診察だった。状態は良好
。5センチ近くあった腫瘍は1センチほどに縮んだ。恐るべし抗がん剤の威力。先生も「これなら手術できるね」って言ってもらいました。よかった。
 が、問題はここからであった。乳房を全摘か残すか……。
 最初先生は「全摘のほうが安心だから」っていつものようにかるーくいってきた。自分は「あ、そーゆーものなんだなあ」ってぐらいで深く考えなかった。だから別に全摘でもよかったのだが、しかし、母と同席した看護師は固まってしまった。すかさず看護師さんが「入院日にまた伺いますね」と、助船をだした。
 あとで、母に聞くと「そんな、きれいなものを残せないなんてもったいない」といってた。母のほうが自分の乳についてちゃんと考えてくれていた。
 先生によるとリンパ節にも転移いていたので部分切除だと再発リスクが高いらしい。だからの全摘がおすすめといっていたのだ。
 なんとも、癌になってからは、短い人生のなかでいろんな初めてのことをたくさん経験したが、こんなに簡単に人生を左右する大きい選択が訪れるなんて思ってもいなかった。
 とても漠然としていた。





2021年10月30日土曜日

コラソンのときめき

 ハート、が好きだ。幼いころから、ハートの形が好きだった。あの独特な左右対称の愛示す形。素晴らしい。とくに真っ赤なハートは格別。情熱的だ。情熱はいい。よく絵にも描く。その情熱ゆえに(?)。そのマークだけで愛が表現できるなんてすごくない?って話である。


 で、話が飛びます。そろそろハロウィン。ここ近年いろんなとこでメキシコのハロウィンの催しをよく目にする。

 はじめてみたとき、メキシコハロウィンは独特だなーと。呪術的で骸骨は花で埋め尽くされカラフルのハッピー感満載。かわいいである。死者を楽しくお出迎えって、暖かいメキシコならではって感じがする。

 で、なにが言いたいか。調べてるうちにメキシコの飾りのなかで、よく真っ赤なハート見かけるなーと。しかもそれが装飾的だったり、燃えてたり、剣ささってたり。もろ好みである。気になってちょっと調べてみる。


  メキシコで、ハートとはCORAZON‘コラソン’は心臓を意味している。 メキシコ人の多くはキリスト教で、マリア様の心臓ということらしい。 人の心も表現していて、悩みを取り除いたり、あとは愛の意味がある…だそうで。


 わーお、色っぽい。あの壁飾りが部屋いっぱいに掛かっていたり、ネックレスのモチーフだったりすると画像とかみるとすごくドキドキする。心臓っていいよね。

 DOLCE&GABBANAなんかは、バックや洋服にコラソンをあしらい、それを看板にしてるほど愛に溢れている。すっごく華美。あの世界観…結構すきなのだ。


 ハートは、あたりまえに街に溢れててもう、みただけでそのすりこまれたイメージにより、ドキドキする。自分のまわりにも当然のごとく、ハートで溢れかえっている。

 で、ハートがとっても好きなのだが、もっとも古い自分の記憶を辿ると、それはあの伝説的少女漫画原作アニメーション、‘美少女戦士セーラームーン’まで辿り着く。

 そう、セーラームーンシリーズの第三シリーズのSで登場した、コズミックコンパクトにそっくりなのだ。というかあれは、セーラームーンにとって幻の銀水晶、つまり彼女の命、心臓なのだ。その具現化したものがあのコンパクト。そして武器、ハートムーンロッドにもコラソンがあしらわれている。

 アレ初めてみたとき自分のハート鷲掴みにされたのよね。はは…。真っ赤なハートのコンパクト。開けると中にはミラーとハート型のクリスタル。もう胸キュン。

 当時、宝石屋さんの娘の武内さんだから描けた世界だと思う。あれは燃える。その後セーラームーンたちは他の戦士たちもスーパーセーラー戦士も胸のリボンにハートをかかげる。美少女の胸にはコラソンである。というより、美少女の命=コラソン。素晴らしき方程式。


 情熱の象徴。しかも可愛さも、あり。よく作品にもなんだかんだ取り入れている。もちのもの、コラソンだらけ。輝きは永遠。自分の思いの具現化………心臓万歳である。





2021年10月24日日曜日

悪性腫瘍とどこまでも4

 二十歳で癌になり、抗がん剤を打ち免疫力が下がったところで、肺炎になった。


 レントゲンには真っ白な靄。母によるとあれが肺炎というものらしい(レントゲンって綺麗)。まぁ、そんなこと気にならないぐらい咳疲れしていたのだが。

 酸素ボンベなるものもこの時はじめて着けた。少し呼吸が楽になる。あと酸素飽和度計もつけられた。最初は様子見でこのまま帰らされる雰囲気だったが、やはり母の予想通り即入院。その日たまたまいた担当の内科の先生も飛んできた。あら先生、いらっしゃたのねって感じである。一通りはなしを聞いてストレッチャーで15Fの病室へ(もちろん病室もストレッチャーもはじめて)。ストレッチャーからの景色は違和感しかない。天井が見えているのに狭い空間に押し込められた気分だった。
 病室は4人の大部屋か2人部屋、あとはちょっとお高い個室とがあり、自分は空いている2人部屋のドア側に入ることになった。無料Wi-Fi完備のテレビ付きである。ベッドがリクライニング式!感動した。
 すでに病室で、母があらかた荷物を棚にしまっておいてくれた。「後で荷物を自分のいいように片付けてね」と言い残し、帰っていった。その後も看護師さんが入れ替わり立ち替わりで入院時の説明、体温測定、体重測定、入院食のアレルギー確認、あと治療にあたる主治医とそのチームの先生の挨拶(内科の主治医の方は若いのにもうチームをもっている)、何が今回の肺炎の原因かの質問等々…ひっきりなしに人がでたりはいったり。あとは痰出しもした(全然でなかったし、出そうと意識するとめちゃ苦しい)。
 夕飯までもう少しってところで、少し落ちついたので洋服の整理でもしようかとおもい立ち上がった。とたん看護師さん達が血相を、変えて3人飛んできた。なんか悪いことしたっ?!ってかなり驚いてしまった。しかし、すぐに年長であろう看護師さんが安堵の表情になり、残り二人をもどるように指示すると、自分に向き直りました。
「あっ、えっ、棚の整理しようかなって…」と自分が焦っていると看護師さん一言。
「一旦落ちつこうか?」
 はい。緊急入院したんだから当然だけど、なにか異常があったときにナースセンターに知らせが行くみたいで…急に動いたことにより酸素飽和度が下がったようで…気づかず呼吸が浅くなっていました……。酸素ボンベつけて楽になったから、今まで苦しかったことを忘れてたんだよね。看護師さんたちが来るその早さと言ったらもう…神対応な看護師さんたちであった。

 7月の暑い時期の入院だったが病院は当然のように冷房が一定にかかっておりかなり快適…寒すぎるぐらいだった(この頃の自分は髪の毛が当然のようなくなっていて院内で自前のキャップをかぶりどうみても癌治療者ですって見た目だった。で、この時気づいたのだけれど頭がめちゃめちゃ寒いっ!なぜスキンヘッドの人が冬場帽子被るのかがわかった。毛で覆われてない頭は裸同然なのだ)。
夕飯はそこそこ食べれた&おいしかったと思う。病院食=不味いのイメージが変った。そして、しばらく咳で痛い身体と対話しつつ早い就寝を促される。確か9時。それでも眠れた。それだけつかれていた。
 しかし、咳は寝かしてくれない。真夜中咳が苦しくて寝てられない。よく聞いてると他の病室でもゴホンゴホンしてる。苦しそう。あと、大変だったのはトイレ。一人でいけないのだ。まぁ緊急入院するぐらいの症状なのだから仕方ないけど、まさかトイレでナースコール使うとは。…車椅子でトイレに行く…不思議だ。
 うとうとして起きてを繰り返し、一日目の夜はなんとかやり過ごした(どこでも寝れるタイプだが興奮すると頭が活動的になるのでだいたいいつも3時ぐらいにはいろんな事を考えてベッドにいる)
 二日目。点滴やらなんやらを打ちつつ様子見。母が入院荷物に入れてくれた画材一式で絵にも手がつけられるようになった。入院前はそれさえできなかったので進歩である。熱は下がらないが朝食は美味しく食べられた。この日は日曜日だったので昼には母が見舞いに来てくれた。いくつかファッション誌と愛読書を家から持ってきてくれた。助かります。身体が肺炎に引っ張られて思うように生活できないが、それはそれで面白かった。真剣に自分の身体と向き合える。それにそうしないと真面目な話、生きていけないし。すごく自分の身体に耳を傾けた。
 それにその夜、ホントにそうなった。就寝後、突然咳が止まらなくなった。苦しくて苦しくて涙が滲んだ。はじめは我慢できそうだったのだが、長く続いてさすがにおかしくなりそうだったのでナースコールした。看護師さんが来てくれるが咳で状況説明できない。身体を横になるよう促される。それでも咳は止まらず胸が張り裂けるかと思った。夜手元の電気だけであたり真っ暗なのに、頭が真っ白になる。息できないってこういう事かってどこか遠くでおもった。咳はまだ止まらない。そして、息が詰まる。ホントに息できなくなった。そういえば入院の説明時酷くなったら気管支切開するっていってたっけ…回らない頭にふとホントにそうなるかも、とよぎる。だが、こんなことで死ぬわけにはいかない。渾身の力で吐き出した。出たのはこれでもかっていうぐらい大きい痰。口に入りきらない痰。のどにこれが詰まっていたのだ。苦しいわけだ。そして、胸とのどは張り裂けるかと思うぐらい痛かったが、やっと眠れた。長い夜が明けるのだった。


 そこからは、ゆっくりと回復へ向かっていた。母は毎日見舞ってくれた。仕事終わり(地元からわざわざ)だというのにすごい人である。同居人のおもちさんも仕事のある日は必ず帰りに来てくれた。毎回お土産のフルーツやスイーツ、成城石井の赤いキラキラしたハートのチョコレートを食べることが幸せだった。食事が喉を通らない時は好きなものを思いっきり食べる…という話をがん治療が始まるとき先生に言われていた。だから好きなものをいっぱい食べることにしたていた。見舞い中に院内の18Fレストランに寄ったり、病室の階に眺めのいいラウンジで話したりは入院中の楽しみの一つだ。
 身体の調子がだんだん良くなり日中は絵を描きまくっていたり、看護師さんや薬剤師さん、お隣のベッドの人といろいろお話した。その頃の自分は手作りキャップ(赤いのとかハートがついたのとか)をかぶり、牛乳プリンやスッパマンのTシャツに真っ赤なステテコを履いて闊歩していたので目立っていたらしい(そもそも自分くらいの年の人が同じ階にいない。若くても30代だったから浮いてた。自分より若いともっと重い症状になってしまうのでなかなか会えない)。ベッド周り真っ赤だったのでそのことについてかなり話しかけられた。おとものキティさんぬいぐるみも話題の的である。まぁ、目立っていたと思う。普段あんまり人と会話しないが、おかげでいろんな話をきけた。
 後は夜中の散歩。やっと車椅子が要らなくなり調子がよくなる。日中はベッドで絵を描き続けてる…のはいいのだが問題はそのあとで体力はないのに身体が全然動かさないので突然、夜中目が冴える。全然眠れない。頭が過回転。普段日常過ごすだけでも身体を動かしてると実感。もうそしたら看護師さんが巡回してようがなんだろうが散歩するしかない。出歩くと、他の患者さんも一緒みたいで、ラウンジとかに座っている。夜の病院はとてもミステリアスなのだ。ちょっと夜中の病院徘徊するとかなんかゾンビに見えるのでは、とちょっとびくびくしてみたり。でも月明かりがさしこむ高い天井の入り口、18Fのラウンジはとても見晴らしがよく、早朝(朝方2時頃)活動的に働く車の光はまるで生命力もった生き物みたいでとても綺麗だった。そこをたった一人、独占して眺めてられるのだから贅沢である。

 さて、大体2週間ぐらいたっただろうか。入院になれたころ。ちょうど抗がん剤の最後のセットをやり終える期間とかぶってしまった。やってもうた。いや、肺炎なんだから仕方ないけど。でも、調子いいし最後とっとと終わらして、早く手術したいっておもっていた。治療、長引くのがいやだった。それで、早く内科の先生に今の症状確認したくて看護師さんを2
回か呼び出した。忙しい先生が捕まらないのは分かっていたがなんだかいてもたってもいられなくなってしまう。その時、看護師さんに「なにか不安なの?」ときかれてはたと気づいてしまった。…自分は不安だったのかと。看護師さんの前で泣く事はなかったが、母の前で涙がでた。よほど気を張っていたのだと自分でやっとわかった。自分は普段そんなタイプじゃないのでなんかちょっと可笑しい。結局、大事をとって抗がん剤は延長となった。手術は遅れるが仕方ない。わざわざ病室まで来て説明してくれた内科の先生、ありがとうです。
 入院中、外科の先生も来てくれた。「病室、真っ赤だね!肺炎はやく治しちゃいなさいよ」だそうで。相変わらずである。そのかいあって後は順調に退院に向かった。


 退院日、とても厳かだった。
朝検温にきた看護師さんは最初に「一旦落ちつこう」の方で、アートの話とか自分の生いたちとかそんなことあまり他人にしたことないのにその方に話してしまった。また遊びにきてね、といってくれた。
 父に久しぶりにあう。車で迎えにきてくれたのだ。懐かしすぎてハグしてしまった。帰りは母が持ってきてくれた、赤い長袖ワンピースにきがえた。夏の日差しだが冷房の涼しさの為、長袖だ。
 病院からでた久々の直射日光は身体に響く。呼吸の仕方に違和感を覚える。そう、いかに病院が整えられた空間かを知る。退院祝に銀座でお茶していくことにした。が首都圏の道路は怖い。間違えてホテルの駐車場に入り込みあたり黒塗り車しかない時はビビってしまった。無事デパートへ。美味しい紅茶とデザートをいただく。
 しかし、脳は久々の地上で興奮状態だが体力は限界。家についたら即ベッドへ。開けっ放しの窓から流れ込む湿度がなんか気持ちいい。なんか雲の上の世界を味わえた貴重な体験、すごく楽しい旅だった。




2021年10月8日金曜日

悪性腫瘍とどこまでも3

 抗がん剤ファーストインパクトの衝撃をなんとかやり過ごし、抗がん剤が生活の一部になってきたころ。射った直後はダルく横にならないとだが、その後2~3日たてば家のことをこなしたり、絵を描いたりができるようになった。

 弱った身体に意識を傾けることがあたりまえになる。以前から自分にとって私はなにより大事なものだが、身体にそれまで以上に気を配った。それを教えてくれたのは抗がん剤を射つにあたって、レクチャーや相談を、つけつけてくれる病院のセンターだった。

 髪の毛が抜ける前。自分以外の利用者も交えつつそのレクチャーは、とても参考になった。まずすべての毛が抜けるとはどういうことか。眉毛がないとすごく怖い印象になるとか、かつらがなぜ不自然になるのか…これはもみあげがあるかないかである。ないと確かに変なのだ。あとはかつらの時はメイク濃いめでとか。体力的にめんどくさかったら眼鏡、マスク…これは下がる免疫力にも対応して出かけるときは必ずつけた方がいいと。それからかつらの高い、安いの違い。爪の手入れ…これも驚いたのだが抗がん剤で爪がぼこぼこになり変色し抜ける。だったら、つけづめをつけたり保護用のマニキュアをつけたらOKとか。あとは乾燥。皮膚が乾燥しまくる。こまめな水分補給(これは前からやっていた。抗がん剤のあと口の早く身体の中の薬を薄めたくて大量に飲んでいた)と保湿ケアをしてくださいとのこと。なるほどな話ばかりだった。

 最後に、これらを教えてくれた方がいっていたのは、こうなったら非日常として‘楽しめ’ってことである。変化を落ち込まず、今までやったことないものを楽しめと。すごーくためになった。

 そんなありがたい話をもとに、自分は色々試してみた。つけまつげ、つけづめ(絵ばかり描いていたのでやったことがなかった)本格的にメイクしてみたり、マスクも、かわいいものをつけた。かつらはおもいきって薄いピンク色やハニーブロンドをつけた。いつも着ている赤い服にすごく似合った。銀座で外国人のスナップの人にも声をかけられたぐらいだった。地元じゃかなり浮いたけど。でも楽しかった。身体表現の新たなる可能性である。

 そんなこんなで、外に出かけるのはとても楽しかったが、すぐにバテてしまう。日に日に体力は衰える。しかし、脳みそと精神は元気で、母いわく「なにがなんでも生きてやろう」って感じだったらしい。確かに必死だった。当時の絵にもありありとでている。
 しかし、食欲も免疫力も下がる一方で1回5月頃、高熱と脱水と低ナトリウムで緊急で近所の病院にいった。熱が40°近くあるのに水、スポーツドリンクが飲めず嘔吐。激しい目眩と頭痛。耐えきれず叫んでしまった。車で病院に、そして車椅子でベッドに運んでもらい点滴を射ってもらった。車椅子なんてはじめてでいつもより目線が低いのは新鮮だった。まぁそんなことより苦しかったんだけど。
 いや、低ナトリウムは恐ろしい。本当に恐ろしかった。この時から、食欲なくても塩の入った生梅飴だけは舐めるようにした。

 そして6月頃、抗がん剤が後半になるかならないかの頃。喉の調子が変になってきた。咳がでるようになった。なにしてるでもないが、咳がでる。軽く喉がつまる感じ。それから数日で、食事するたび咳がでてほとんど食べれなくなった。かろうじて食べたあとも咳が止まらず、横にならなければならなかった。いままでも、何かやるたびに少し横になって休むのは当たり前だったが、すぐ回復した。しかし、今回のこの咳は全然おさまらない。日に日に酷くなる。段々胸の骨や背中が咳のしすぎで痛くなる。咳のせいで息ができない。母がこれはまずいとまた、急遽近所の病院へ。また車椅子でこの前のベッドに運んでもらう。起きあがっては激しい咳がでるので、寝ながら多分レントゲンを、とった。明確にはあまり覚えていない。その後、すぐにお医者さんが結果をだしてくれ、掛かり付けの病院にすぐ診てもらってくださいと、手筈をすぐ整えてくれた。朝一番だったが、もうお昼だった。会計がすむまで病院食堂でコンビニ塩レモン春雨スープと、プリンを買ってもらったが、春雨スープは…だめだったので遠慮して、プリンのみいただいた。甘さが痛んだ胸をとろかす。
 それですぐさま、母は入院自宅をし、都内の病院へ車で向かった。休日だったが、道路は空いていてはやく着いた。この時の道路は、またいつもと違った景色で都会を流すのもなかなか面白い。身体はそれどころじゃないが。
 休日の病院は閑散としていた。裏口から入り普段は小児科だが、休日は緊急診察室になっているところに通された。また車椅子で移動。待合室にはおおきいテレビ、絵本の本棚、アンパンマンやら壁にいっぱいいた。そして看護師さんに呼ばれて奥の診察室へ。その日の担当であるお医者さんが診てくれた。ベッドに寝かされ、鼠径部に注射針をさされる。何の注射だか、説明が聞き取れない。それからストレッチャーでレントゲンやMRIを受ける。休日だというのに技師さんがいるのに驚いた。検査後、また診察室へ…。

 母はとっくに気付いていたが、この時、抗がん剤による免疫力低下で肺炎になったのだ。日和見感染の肺炎。できあがったレントゲンの肺は真っ白だった。





2021年10月3日日曜日

こちらをみているすみっこ+映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ の感想&ネタバレ

(ネタバレします。個人的思考がはいります。ご注意下さい) 



 ……こんなに泣いたのはいつぶりだろうか。いや、認めたくない。‘映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ’で号泣するなんて。あぁ泣いた。久しぶりに。凄くいいっておもう映画でさえ感動しただけなのに。

 で考えた。なんでこんなに泣いたのかと。おさえるとこおさえてるなとはおもったが、それだけではあるまい。要は、不条理と奇跡。そしてそれはバランスでなりたっている。奇跡はおこった。すみっコたちは絵本の世界に入り込みひよこに出会い、冒険をエンジョイできたのだ。それが奇跡。でも、ひよこはすみっコたちといっしょに絵本の外の世界にはいられないのだ。絵本の住人であるがゆえに。それが‘この映画に設けられた’不条理だ。
 なんてことをっ。ひよこが一番はやく気づく。自分が絵本の外にでられないことを。映画の世界の外から設けられたルールに、無意識に従わなければならないのだ。それでもひよこは、それを受け入れたうえで自分にできる最大限ですみっコたちを助けようとする。彼らが外にでられるようにパーツの斜塔を支える。あんな、ちいさく非力なのに。もうっ、泣くしかないだろうっ!
 最後、無事にでられたすみっコたちはひよこの描かれた絵本のページを彩ってハッピーエンド…いや、そこはよかったけどっ、そうじゃないだろう。あのひよこは無意識で気づいてしまったのだ。自分では変えることのできないルールに。映画の外という概念は考えていないだろう、あの様子だと。だから、映画の途中途中にでてきたあの、クレーンが許せない。あれは物語を進行させるためのいわゆる‘制作者の手’だ。それが奇跡を起こすきっかけをつくり、不条理の道しるべとなっている。物語の中だけで完結させてくれなかったのだ。そんなのひよこに残酷過ぎるじゃないかないか。

 ……これを観たうえで色々思い出していた。確か、もうひとつアニメ最終話で泣きはらしたことがあったなと。
 それが‘プリンセス チュチュ’だ。この話もどうしようもない不条理と奇跡の話だ。あらすじをはなすと、作者が死んだことにより、物語の世界と現実の世界(このアニメの中の)がめちゃくちゃになり終わらない悲劇が待ち受けている。その世界で主人公、ただの鳥のアヒルが美しいプリンセスチュチュになる。が、そもそも死んだ作者から与えられた奇跡。それも物語の中の。しょせんただのアヒル。自分の非力さを悲しみ愛するものと結ばれない不条理を受け入れ、大切な人たちの幸せを願う。そして、アヒルは奇跡を起こす。
 アヒルは物語の外の存在だからこそ、作者の魔の手から悲劇の登場人物たちを救えたのだ。でも、映画すみっコと大きな違いは、あの不条理はプリンセスチュチュの物語の登場人物である作者が、もたらした不条理だ。いわゆるアニメの制作者とアヒルは関わらない。アニメの登場人物はこちら側をどうすることなんてできないのだから。……そうそう、ゲーム‘アンダーテイル’のGルートもうこれだよね。しかし、アンダーテイルはプレイする側の意志の問題だ。責任がちゃんとこちら側にある。そこはゲームならではの双方向性のいいところ。

 まぁ、色々ならべたてたが結局のところ、映画すみっコは素晴らしい作品だとおもう。感動をあたえてくれて、観る側に考える余地までくれるのだから。その不条理はとても残酷で美しいのだ。




2021年10月1日金曜日

悪性腫瘍とどこまでも2

 20歳になるかならないかで、癌が体内にあることが発覚。あっという間に様々な検査をすまされ、数日後診察室へ。耳にしたことはあったが、若い癌は進行が早いのですぐの治療が求められる。

 しかし、我が癌はすぐ手術するには大きくなりすぎていた。このままでは左胸全摘になる。なので先に、抗がん剤を投薬し腫瘍をできるだけ小さくする必要があった。抗がん剤なんて知らない誰かの話しか聞いたことがない。未知なる経験だ。

 ちなみに、家族の血液検査でわかったのだが我が家に癌遺伝子はないらしい。若くしてなったのは突然変異らしい。しかしながら、自分が突然癌になった心当たりがある。そのワケはたぶんストレス。幼いころの学生時代から心が渇き、情熱はあるのに自身に絶望、何とかしなければと高校生の時爆発してみたり、絵を描くことにガチになりすぎたりで、予備校まで猪突猛進してきた。自分に鞭打ち続けてムリしたある意味罰。だが、自己改革で癌になるとはおもわなかった。

 話をもどそう。そして投薬生活がはじまるのだが、先生(グレーの髪色で、まるで子供のようにしゃべる面白い先生)のかるい説明によると前半後半で打つ薬がかわり3月に始まりちょうど8月でおわる、各月大体2回のセット内容。月はじめに血液検査つき。
 この頃の癌は大きさ5センチ。よくもここまで大きくしました。リンパにも少し転移しているらしい。まだ癌かどうかわからなかった去年、にショッピングモールの保険の紹介コーナーで、乳ガンってこんな感じと触ってわかるしこりの模型がおいてあった。ためしにさわってみたら明らかに自分のしこりのほうが大きく「やっぱり、私の癌じゃないな」って同居人のおもちさんとしゃべっていた。……あの頃が懐かしい。
 次は内科の先生の診察室。抗がん剤についてはこの先生が担当。若い男性の先生。最初にあった時、午後ってこともあったのだが先生はすごく疲れきっていた。外科の先生のご指名だったのだが、「自分は治療に時間をかけるのでもし、気になるなら担当医の変更してください」が最初の言葉。あ、大変なんですねーってかんじ。まぁ、面倒なので変えなかったが。その時内科の先生から抗がん剤について詳しくきいた。先生はとことん考え尽くすタイプらしい。一生懸命だ。
 看護師さんも母も同席している狭い診察室だからか、先生が疲れていたからか、私が疲れていたせいか、癌に関わってはじめて気分がどんよりした。まぁ、しょうがない。

 はじめての抗がん剤の日。ちょっとしたお出掛け気分で打たれた。病院の施設そのものが新鮮で今じゃ受付はカードで機械に通すだけ。その他検査も、バーコードでピッ。ハイテクである。お会計も機械に番号で呼び出され自動精算機。大型病院だと当たり前とあとで知ったが、当時は感動した。
 抗がん剤を打たれる部屋はベッドかリクライニングできる椅子かでわかれている。ベッドは簡易的な個室。カーテンでしきれる。椅子は大きさ部屋にぐるりと円を描き真ん中に、色々のったワゴンを動かし、きびきび働く人よさそうな看護師さんたちがいる。まるでSFのステーション。はじめてはおおきすぎる椅子のほうでうたれた。最初の検査からこの先ずっと、採血等々で注射針をさされまくるのだが結局あまりなれない。抗がん剤の針が腕に刺さる。異物感はんぱないである。看護師さんが注意深く名前確認や薬のチェック。針を刺したときの異常はないか、体調の変化があったらすぐしらせて等々、細心の注意をはらっていた。はじめて訪れた時からおもっていたのだが、ここの病院がそうなのか、すごーく人間に対して親切丁寧。終末の方も来られるからかな。神対応で驚いた。見てて清々しい。
 大体何種類かの薬を30分ぐらいで投与。1時間ぐらいかかったと思う。腕に違和感あったが、見るものが新鮮ですぐに時間がたった。おわりも気持ちよく、母とおもちさんと近く銀座まで足を伸ばしたほどだった。そしていわゆる銀ぶらをした。
 お店を数件まわり、綺麗な夜の青がうっすら街に染みだした頃、頭が言いようのないぼうっと感をおぼえた。視界が霞みふらふらする。そろそろ疲れがでたのかと思い帰ろうと電車に乗ったとき違和感は異変になった。
 はじめての経験。歩こうとするが足が言うことをきかない。しんを抜かれた感じ。頭がぐわんぐわんする。座席に座っていることもできなかった。酔っ払いってこんなかんじじゃないかと働かない頭がおもう。実際、母の肩をかりて千鳥足だった。駅まで車で迎えにきてもらいなんとか家に着いたが、着替えられず布団に入るしかなかった。横になってる時、夕食のまえだったのでお腹になにもいれてないのはまずいと母がハーゲンダッツのクッキークリームを持ってきた。嬉しくそれを頬張った。しかし、食べることはできなかった。舌が痺れて味がすごく不味いのだ。ショックだ。なによりのショックだった。健康な自分にはあり得ないことだった。そう、これらはすべて恐るべし副作用のはじまりである。

 抗がん剤の説明で聞いていたが、こんな感じなのかとしみじみ実感した。吐き気、嘔吐、目眩、味覚障害、脱毛。そして、これらを徐々に経験していくことになる。
 吐き気や嘔吐はなかったが、肌や目が乾燥し細胞が弱まっていくのを感じた。舌がありとあらゆるものを受け付けなくなる。人工的な味が美味しくないのだ。好きなものが食べれないのが一番ショックだった。自分の場合しばらくたってからだったが、毛がさわっただけで抜けたのには驚いた。ちょっと面白かったけど。ドライヤーなんか大変だった。脱毛はきいていたので、長い髪を短く切ったが毛の処理は抜けるたびに大変だった。生まれて20年間かけて変わった身体が、異常な早さでまた生まれ変わっていくのだった。それは衝撃と新鮮さと、その生まれ変わった身体に耳を傾けることを、否が応でもさせられた。

 抗がん剤は癌に効くが、癌も自分の身体の細胞の一種なのだ。他の細胞も攻撃する。死に至らしめる癌がいた時は普通の身体なのに、その癌を死するために抗がん剤を射つと身体は弱る。あたりまえだが、なんともアイロニカルなはなしだ。抗がん剤のほうが、得たいの知れない力に感じた。身体を蝕む未知なる力…みたいな。
 


2021年9月27日月曜日

悪性腫瘍とどこまでも

 それは突然、なんの前触れなしにだった。
 
 芸大に1浪後、なんかが違うなと、大学にはいるのをやめる決断した。その年6月頃、しこりに気がついた。左胸上あたり。最初は、乳腺が張ってるだけだとおもってた。それぐらいなんの違和感もないのだ。ただそこにあるだけ。どうみたって身体の一部。それだけだった。
 それからしばらくして、だんだんしこりがおおきくなった。で、8月頃母に話した。その時もなんかホルモンで胸がそうなっただけと考えていた。我が家は母が看護師なので、医者いらずで過ごしていた。少し母は心配したが、ネットで調べてみて若い人のしこりは乳腺症なことが多いと書かれていた。だから放置していた。

 そして、1月。しこりは、日に日におおきくなっていた。少し気になるからと、母が都内産婦人科に診察してもらうことにした。

 なかなかクリニックなどいかないから(しかも産婦人科)、そこにいるのが違和感しかない。診察してもらって「はい、異常ないですね」って言われおわるものだと高を括っていた。

 訪ねたのは女性のお医者さんだった。その先生は触診したあと、ぬるぬるのローション塗りたくって超音波で左胸をみた。表情がみるみる曇っていった。はてな、なんだいその顔は。不信におもっているとその日のうちに局部麻酔をし、針検診をしなければならなくなった。そんなの当然ながらはじめてで、麻酔してんのに痛いのなんの。ああ、皮膚を切るってこんな感じなのか、はじめての痛覚。ちょっと涙目。それから先生は「結果が出しだいだが、悪性腫瘍を覚悟してください」と。また「かなり大きく、若いと進行が早いので、大きい病院を紹介しますので至急そちらでみてもらってください」だそうで。その頃自分は19歳、だがこれといって怪我病気、風邪でも病気にいかなかくて平気だったのに、大きい病院に紹介?えぇーっ!、しかでてこない。その帰り、恵比寿で大きい苺のショートケーキと紅茶をいただいた。
 その時の母は、いままでみたことない、強いが切ないこぼれそうな表情を醸していた。ケーキは美味しかったし、笑ってもいたが。
 それから3日ぐらいでそのクリニックからやたら大きい18階建ての国立病院、しかも当時乳腺外科のトップの先生にみてもらうことになる。そこまでとんとん拍子で、気づいたときは国立病院の診察室で、先生と対面し、自分の着ていた赤い服をかわいいと誉めてもらっていた。看護師である母に医者はそっけないよ、と言われて覚悟していたので緊張がほぐれてしまった。

 診断結果はこの時はじめて聞いたのだが、悪性腫瘍、ステージ3、大きさ5センチ強面構えのわるいやつ、だそうで。次の日から、検査ぜめ。ありとあらゆるはじめてで、待ち時間の長い検査で丸二日使った。血液を採取され、手足固定で電気当てられ、ドラマでしかお目にかかれないウォンウォン鳴る機械に横たわる。しかも20歳の癌なんてめずらしいので家族の血液も検査し、さらに自分の癌細胞はサンプルのため渡米した。自分はアメリカいったことないのに、癌に先を越されてしまった。
 その日、18Fの病院併設展望レストラン。検査疲れをクッキークリームのアイスで癒す。なんともいえない白い曇天。あたりを一望できる景色。いろいろなことがはじめてで興奮し疲れていたが、普通に暮らしていたら経験できないものにワクワク感もあった。自分の癌を他人事のように感じることはないが、好奇心が一番この時の心を占めていたと思う。

 さて、これからが長くなるのだが、これが最初の癌と私の出会いである。いささか駆け足過ぎてよく詳細を覚えていないのだが、来たものは受け入れるしかないので癌にたいして絶望感はない。学校にいたときのほうがよっぽど絶望していたと思う。では、癌との生活について続きはまた今度で書こうと思う。





2021年9月25日土曜日

世界最大のチョコレート工場

 2020年。つい最近のことなのだ。Lindtはチョコレート工場(博物館)をつくった。なんといっても世界最大!すばらしい!まさに、‘チャーリーとチョコレート工場’だ。夢の工場をつくってしまうLindt。その創造力がすごい。
 その名は‘Lindt home of chocolate’!白い壁に金の文字で書かれた横に広い2F建てのたてもの。そこではLindtの歴史が学べるとかなんとか。そして、なんといってもチョコレート工場(?博物館か)。チョコレート作りの体験や、行くとこいくとこにチョコレートの試食が用意されている。歩くだけでチョコレートをたべ尽くせるのだ。
 そして、目を奪うモニュメントたち。まず入り口で巨大なチョコレートの滝に出会う。そう、表参道 フラッグシップ店の元になったやつ。あの大きさで、本物のチョコレートが流れてるんだから感動以外なにもない。きっと、綺麗なんだろうなぁ。
 ほかにも大きいリンドールのモニュメントととか、先ほどのフラッグシップ店にもあるがチョコレートがでてくるガチャガチャとかある。目がたのしい。VRで歩きまわりたい。
 もちろんショップ、カフェも充実。やたらおおきい。しかもここでしか味わえないチョコレートドリンクとかあるらしい。うー…まさにチョコレートづくし。

 そんな、チョコレート好きにはたまらない場所、もちろんあかぐまは何がなんでもいきたい。一度お目にかからなければ死にきれない。
 Lindtさんは本当にドストライクなところに目をつける。簡単に共感してしまう、単純なあかぐま。
 そもそも世界最大のチョコレート工場なんて夢がありすぎるだろう。RINDORのパッケージといいキラキラで華やか。味もそれに劣らず夢を見せる。あぁLindt。脳の栄養源。
 なんでもそうだけど、そのひとつの商品に誰かの熱量がこめられると、商業を超えてアートの領域にはいるよね。それを堪能できるんだからいい世の中だ。

 まぁ、こんなご時世なのでなかなか出かけられないし、Lindtの新商品、ヘーゼルナッツプラリネたべながらネットで博物館を見よう。あぁ、妄想である。




2021年9月23日木曜日

生命活動

 グロさ、エグさ。そして、死。
 スプラッター、ホラー、サスペンス、ファンタジー、エロ等々。
 簡単に、娯楽として世間にでまわっていてすぐ手にできる。

 今の時代、年齢規制なんてゆるく若い世代だってたぶん、それら作品を手にすることは容易いだろう。テレビ、ネット、本、絵。いや、時代関係なく古くから、人間のなんともいえないえげつなさ
ときに現実では、目を背けたくなるものを娯楽として楽しまれてきた。
 なんの不思議はない。人間の脳は安定を好むが、わずかに残された動物本能は刺激も欲する。需要がある。沢山の作品があり、創り手は思考を重ねより面白く、より深く練り上げ築きげてきた。

 では、現代でなぜこんなにそのえげつなさを求めなければならないのか。

 それは、 ‘えげつなさ’ や ‘死’ を見ることで ‘生’ を感じることができるからだと思う。
 思春期の人々はそういったものに明確に興味を持ちはじめる。たぶんもっと幼い人々もどこかでそういったものを求める。‘鬼滅の刃’が流行ったのもそれかなと。
 そして最近は、いじめが普通にある。どんな世代にも。日本は若者の自殺者が一番多いらしい。些細な理由で殺人がおきる。
 その原因がそういった作品だという話を耳にする事があるがそれはお門違いにもほどがある。
 社会が、無意識かつ迅速に脳の安定傾向で、なんともいえない‘えげつないもの’や‘死’を排除したからだ。死という感覚が麻痺し、生きることに一生懸命じゃなくても、生きていけるからだ。動物はえげつなさという価値はないし、死など考えない。ただ、生命活動のため生殖し、動物を殺し、喰って、排泄し、寝る。シンプルだ。しかし、人間が複雑な脳の進化をしたおかげで、この自然の理とは別の歩みをし繁殖したも事実。その副産物には素晴らしいものもある。代償もあるが。その代償が自己矛盾だ。本能があるのにその本能はより多くの人間が生きるため、排除されていた。  
 この前みたキアヌリーブス主演、‘ディアボロス’でもいってた。本能とルールも設けた神は、見ることを許すが触ることは禁じ、食べることを許すが飲み下すことを禁じそれをみて笑い転げてる、って。
 この脳が起こしている、自己のなかでおきている矛盾こそ、人間の面白いところなのだが…苦しさでもある。死によって、考えさせらる。死やえげつないものをみて思うのは、生きているという実感だ。そう、ルールがしっかりし安定した社会だからこその刺激が価値になり、商品になり娯楽になってしまったのだ。死がもっと身近にあったら、脳が矛盾していなかったら、お金だして刺激を買う必要はない。安定した脳世界だからこそより深く、刺激が求められているのではないか。

 絵、音楽、映像、SNS…等々、その刺激が蔓延している。生きている実感がいちばんの感動で、共感するのではないかな。それに一生懸命にならなければ楽しくない。そんな作品に出会いたいし、創りたい。






2021年9月14日火曜日

美少女論

 短いけれど、生きてきたなかでずっと描き続けていたもの…たぶんこれからも描き続けるもの。多くの人が惹かれ、それを描いた作品が世にごまんとある。それだけ魅力的なモチーフなんだとおもう。…美少女、今回はその話をしよう。

 自分の中にある、美しいものの形容が美少女だとおもう。
 幼い女の子が、少女アニメにでてくる女の子を描いたりするのは自分の投影と憧れだ。しかし、年齢を重ねると男性のほうが美少女を描く。しかも上手いし、可愛い(これは羨ましい。なぜか女性が女を描くと客観視がなくなる気がする。それはそれでいいのだが)。これも、一種の憧れかなと。性的欲求で描かれている方もあるとおもうが。老いも若いも関係なく美しい少女は目を惹き付ける。かくゆう自分もその虜の1人。
 その虜たちの理想の美少女は各々ある。美の基準がそれぞれで決まるからだ。フェティシズムだね。アニメ系の美少女(ここでいう‘美少女’はカテゴリーだとおもう)、バリュテュスらの宗教的な神聖化少女ら、とにかくセクシャルなロリータ、ジブリの原始的生命力と淑やかさを兼ね備えたヒロイン、完璧な造作の人形等々、それに想いを馳せるのだ。
 さて、自分を省みよう。自分の美少女、自分にとっての美少女だ。
 幼い頃、絵を描く上で、頭のなかで形だっているが言葉にしなかった。もともと、言葉というものが後追いのようで嫌いだったからだ。美術予備校生時代、それを指摘されたことがあり腹がたてたことが……まぁそれはおといておこう。今は言葉にしよう。
 自分にとっての美少女、皮膚がしっとりと滑らか、まっすぐな漆黒の髪も艶めき濡れて前髪が重ために整っている。眼は長い睫毛に囲われ、零れるような宝石であり、水を湛えた宇宙、その奥深く生命の始まりと終わりが繰り返されている。唇は果実。それほど高くない背丈で、身体は柔らかく硬く細く。……こんなところだろうか。自分のなかで、繰り返し歳を重ねるごとに、完璧に創られた少女像だ。もっと細かく細密描写できるが、長ったらしくなるし無意味だ。今、描き挙げた少女像を、現実世界で破片でも見かけると心すこし傾く(しかし、完璧なわたしの美少女はこの世にいない…だから描くしかないのだが)。より自分の美少女像を明確にするため色々観察するのだ。今度は中身についてだ。そう、問題は内側。美というものは中身からでてくるのだ。シャネルとか、レディーガガとか。‘コロンボ’の殺意をもった女犯人もすごくセクシーだ。心根、ってやつである。どんなに造形よくても中身が所作、仕草、表情にありありとでる。例えばオードリーヘップバーンは、あの眼の輝きや身体つきやバレエ的動作は、芯の強さが表れてるとおもう(昔の映画特有の、セットや照明の輝きはなんであんなに美しいのだろう…)。
 そう中身…すごーくむずかしい。だって美少女は遠くでも目だつし細かな目鼻立ちの造作は説明したくなるほどなのに、近くにいればいるほどぼんやりとして抽象的、なんだかわからない印象が残り、言葉がでてこない。漂う色香は夢心地にさせる、脳内麻酔だ。だからきっと、なんにもない、からっぽ、底知れない。それかとても原始的、本能と強い意志があってほしい。それが理想。アニメ版、原作版セーラームーンの土萠ほたるちゃんがそれに近いかな。美少女の明確なインスピレーションを与えた森茉莉さん著書、小説‘甘い蜜の部屋’ 牟礼モイラは感動した。言葉であれだけ表現できるなんて…である。

 物語などの人間を観察し、なぜこの表情この色香この仕草…と思考する。自分の‘美少女’という世界のために。それがおもしろくて仕方がない。



2021年9月5日日曜日

悪魔の弁護人

 Huluはいい。映画がこんなに身近になるなんて。
 といっても昔から、映画は多少みているのだ。幼少期、住んでいた家2階建。その家は広さはあるが、自分の部屋というものがない。1階おおきいテレビがある部屋(今でいうリビング)と、キッチン、家族4人で寝る部屋(和室…20歳までその和室に2段ベッドで寝ていたとなると、酔狂になるのだろうか)がある。ちなみに2階は父のアトリエ。朝ごはん意外の事柄、すべてがテレビのある部屋で行われていた。
 昼ごはん、夜ごはんの時、絵を描くとき、宿題をやっているとき、父がおおきいテレビで映画をみている。録りためている午後のロードショーの‘遊星からの物体x’とか、‘鳥’とか、TSUTAYAで借りてきた名前も知らない映画が勝手にながれている。それはそれでなかなか楽しい。なので同い年のクラスメイトよりは多少、映画に慣れ親しんでいたのだ。
 AmazonprimeとかHuluを知ってからは、特に好きなやつや、気になっていたものがみれていい。しかも何回も。それは現在の同居人ぬぴさんも同じで、昔に何回も好きでみた映画など教えてくれる。‘未来世紀ブラジル’とか‘リーサルウエポン’とか(ぬぴさんはアマデウス好きで上映されていた時何回も通ったらしい)。今回教えてくれたのはたまたまHuluにあった‘ディアボロス’。
 やぁ、おどろいた。主演があの‘マトリックス’のキアヌ・リーブスと‘ゴッドファーザー’アル・パチーノ’じゃん!んなっ早くおしえてよっ!である。そんなん、みないわけがない。で、早速みた。

 (ネタバレ?)感想…とよべるのか。ほんとみてよかった。空気がよく、主演が最高で、話もおもしろかったらそうなるだろうが。神の世界と法律。夢想と現実。いや、法律も幻想だが。悪魔(アル・パチーノ)に惚れられた美しい容姿の無敗弁護士(キアヌ)…まぁ悪魔自身ナルシストだろうから自分の遺伝子を愛さずにはいられないだろう。こく、濃くその血を残すため息子であるキアヌを自分の娘と、まぐわせようとするのだから。そのナルシシズム好き。
 悪魔に誑かされ、キアヌの奥さんが狂っていく。その過程で、新居の壁をなんども塗り替えめちゃくちゃな色もよかったがニューヨークのビルの中、最上階悪魔の寝るところのない部屋もよかった。寝るところがないってすごく色っぽい。動く巨大レリーフの前、大きなテーブル。あそこで最後の狂気の掛け合いが、繰り広げられ選択を迫られる。まるで、宗教絵画やオペラだ。
 転がるだけ転がりもう、止められない。あとは悪魔の蜜に溺れるしかない…濃い血、遺伝子の呪いと、もうあとは自分自身との戦いと選択…弱いんだよねぇ、そういう設定。‘少女革命ウテナ’とか、同じ幾原さん原作の‘ノケモノと花嫁’とかさ。

 ぬぴさんは丁度いいとき、欲しいときにいつも、インスピレーションの源みたいなものをなげてくれる。その要素を取捨選択するのは自分の裁量だが。あの映画の世界観はまさに蜜の味。‘ちょうどほしかったあの商品!’的な感覚だ。
また、絵に新たな要素が加えられるかもな予感だ。たのしいみだね。たのしみます。




2021年9月3日金曜日

最高峰くらべ2

 わーい、Lindtエクセレンスたべくらべしてみました第2弾。

 今回は、新登場エクセレンスシリーズの‘ミルクソルトキャラメル’と‘ホワイトココナッツ’。以前あったエキストラクリーミーがタブレットサイズで、なくなってしまったので小さいサイズと、リンドールのシーソルトキャラメル。ホワイトココナッツには、ココナッツアイスクリームフレーバーのスリムタブレット。ほぼ同じなフレーバータイトルだけど、味が全然違うのよ。そもそもエキストラクリーミーは、キャラメルみたいな濃厚さ。そこにキャラメルと塩の味が濃くでてるのが今回の、新シリーズ。リンドールのキャラメルシーソルトは意外に上品にさっぱり。いや、くらべるとね。
 エクセレンスのホワイトココナッツはサクサク食感。口中にいっぱいひろがる香りと口溶けが最高。対して、スリムタブレットはアイスクリームのフレーバーってだけあってすごーくクリーミーな味が最初にくる。あとからココナッツのやさしい味わい。まさしくスイーツ。全然違う味。Lindtさんすごいよね。
 話によるとこのエクセレンスシリーズ、はじめてだしたのは1989年。70%の味。カカオのパーセンテージをだしたチョコレートもはじめてのことだった。(ちなみにリンドールは1949年)その時から、最高級の素材をつかい五感をたのしませるという志のもとつくられた。ほんとに絶妙なところをついてくる。おいしい。

 まだ、新商品がでてるので食べます。今度はグランデ。たのしみー!




2021年9月2日木曜日

最高峰くらべ

  秋ですねぇ。秋といったら新商品。秋いったらチョコレート、たべたくなるなる…いや、一年中、あかぐまはチョコレートがたべたい。
 Lindt、秋の新商品。新エクセレンスタブレットシリーズ!すっごくおしゃれなブラックの地に金文字。チョコレートにフリーズドライのフルーツや、ナッツがちりばめられているのが、窓になったかみ紙箱からみえるパッケージ!どれもカカオ70%で、オレンジアーモンド、キャラメルシーソルト、フランボワーズヘーゼルナッツの3種類!こちらも通年で店頭にならぶそうです。
 今回、通年でおいてあるカカオ47%のオレンジ、キャラメルシーソルトを一緒に購入。本当は、フランボワーズと、クランベリーヘーゼルナッツを買いたかった。しかし、フランボワーズは販売終了、クランベリーのほうはLindtになかった。温かいセイロンの紅茶でいただきました。味がよくわかるように。
 47%はおなじみ。絶妙なバランスハーモニー。オレンジやキャラメルの味わいがしっかりとかんじる。
 70%のほうだけど、すごーくエレガント。上品。カカオの味わいを引き立てるフレーバーって感じ。お酒とかにあいそう。時間の高級感演出に。エクセレンスは基本、贅沢だけどね。特にフランボワーズはとても味わい深かったな。

 Lindtまだ、新商品があるのでまたたべくらべます。いやぁ、たのしいな!秋は!




2021年8月30日月曜日

そのなかにいたい

 絵を描いているとき、BGM代わりに映像をながしている。映画ドラマ…洋画のほうがおおいかな、アニメもながす。ネット配信も時々。ただ、ただよく見なれたものをながす。‘よく’ってレベルではない。あぁ、これだとおもったらずーっとながす傾向がある。音楽もそうだが、なん十回とながす。その日の気分でずーっとながす。それは幼少のときからで、ビデオテープの録画された、アンパンマン、名探偵コナン、セーラームーン、でたらめちゅーずでぃ(ポンキッキーの爆笑問題さんがでてたネズミのやつ)、ディズニー アラジンを盲目的にながしていた。たぶん、現在の感性があるのはこの頃の影響かと。

 まるで、それは子守唄。

 今でもコナンの映画(初期のやつ)がHuluでやっていたらそればかりながすし、もののけ姫もなんどみたかわからない。あとメンタリスト、チャーリーとチョコレート工場、進撃の巨人、AKIRA、富江、ティファニーで朝食を、プラダをきた悪魔…等々。ネット配信だとバーチャルおばあちゃんの2時間クリアの‘DARK SOULS3’とか。そう、なんでもジャンル問わず、ながす。が、自分のなかでは共通点がある。
 その作品の‘空気感’にはいりたいかどうかである。
 その日の気分…というよりその時の波長があったら、その世界の空気感にはいるため、ながすのだ。波長があうかがポイントだ。コナン君の映画も波長が合わないとながせない。そう、話がつまらないとか演出が雑、キャラクターが嫌とかは二の次で、その作品全体に統一している‘雰囲気’が、ながすのに大事。作品の世界の空気感に色香漂い、そのなかにずっといたいと思えるかどうか、である。ただ、作品の雰囲気が本当に感極まる!だと、みるのに集中しすぎてBGMにならないのだが。セーラームーンはビジュアルに思い入れが強すぎて、プリンセスチュチュは感動しすぎて、時計仕掛けのオレンジはビジュアルと音楽が凄すぎてながせない。
 一方、もうその空気に居たすぎて一心でながしつづけた作品もある。天元突破グレンラガンの最終回。シモンの「迎えにきたぞ、ニア」等々を、ききたくて。宇宙を掛けた戦い、そして別れ。永遠につづく螺旋。あと、少女革命ウテナの最終回。「やっと、あえた」ウテナちゃんの言葉、音楽、空気、舞台、演出。あれに何度酔ったか。そして進撃の巨人 シーズン1の映画。あの異様なビジュアルから漂う空気、匂い。人間模様、放つ強い言葉とどうしようもない現実、残酷とは関係なく美しい大空。
 どれも物語のスケールがなかなか大きいとおもっている。その空気のスケール感が、絵に直接関係するとおもう…というより自分が、その空気に触れていることにより絵がよりおいしくなる気がする。雰囲気のインスピレーションだ。
 今おもえば、幼い頃もそうだった。物語の世界に浸って、手を動かしている。気分で絵の良し悪しがかわるのだから当然だが。絵を描くことは眼だけで行うのではない。もちろん脳と、手の一体化。それだけではなく、からだ全体で音楽をたのしむのと同じで身体の感覚表現なのだな、とおもう。

 話が逸れるが、最近このところ、ゲーム‘学校であった怖い話’にはまっている。自分の小学生の頃と時代ははずれていたがスーパーファミコンをするのが好きだった。同居人のおもちさんとたのしんだものだ。もちさんがゲーム内の文章を朗読してくれて、自分が基本のプレイをする、そんなやり方。そして父が買った、学校であった怖い話をプレイしたのだ。怖い話はそんなに好きではなかったが、興味本位でやってみた。驚くべきかななんと、語り部の話を一通りきいてしまった。
 学校であった怖い話はノベルゲームである。幼い頃の自分はノベルゲームの存在さえ知らなかった。でも、なんだかんだあの独特な空気、語り部の人物描写、狂気のエンターテイメント性に良さを感じてしまったのだ。
 そして、時は過ぎ現在。そう、おもちさんがまたプレイしだした。新シリーズがでているらしく、夢中にやっているのを味見した。それで、こちとらもはまってしまったのだ。ひさびさだったが、色褪せることなくまた、新シリーズはおもしろさはグレードアップしてた。
 それで気づいたのだが、あのシリーズの作中全体にながれている空気感がとても心地よいのだ。いや、ノベルゲームはほとんどやったことがない。でも、学校であった怖い話に関していえば、感情が動かされるというか、そのストーリー、台詞、音楽、ビジュアルに考えさせられ、その感動は自分の絵に熟しをあたえてくれる気がしてる。そう、あの話の空気に浸らなきゃという気分になり、気づけば各々シリーズを2周してる。やらかしてます、はい。栄養になっております。まぁ、こんな気分になるのはひさしぶりなので、おもちさんと楽しもうと。

 乱暴な話だが、作品はなにか駄目でも、空気さえよければ味わい深いものになるし、それらの作品に幼い頃から浸ることにより、自分にとっての描く行為につながっているとおもうのだ。空気よければすべてよし、である。