2023年4月20日木曜日

たのしい議題






それでは。


たのしい議題がふってきたので。


お話しましょうか。



最近とんと、こっちはご無沙汰でしたが。
ふふふ。
忙しかったからね。
ちょっとね。
盛り上がりそうな話はこちらかなと。


では。


僕にとっては、ですね。
主観ができてこそ、客観視ができるだと思うのです。


客観視ってさ。
人の目線を気にして答えをだすことではなく
合理的に物事を見ることでもなく
人の動作
思いをくんで、
自分は今
どこの位置にいて
なにをすべきか
座標がわかっている状態のことだと思います。

そもそも、客観視って誰の目線?

相手の目線?
じゃあさ。
目の前の人の気持ち、わかる?
すべてお見通し?
悲しいけど、それは憶測でしかないよ。
ならば、世間?
世間ほど曖昧なものなんてないよ。
戦争が起きたら一発で価値観が変わっちまう。
じゃあ、合理性?
合理性はたくさんいる人間の運営を考えた利便性だよ。

客観をしています
しなければならないって
それはさ
そう見えるようになりたいっていう
願い
目的
エゴ
主観じゃない?

創り手なら
絶対、客観視をもっている。
じゃなきゃ創り手ではない。
第三者の目線をいかなる点でも持っている。
だけど、それ。
その目線。
自分じゃない?
自分の経験からだされた目線でしょう?
客観視というのは、
結局
自分自身がしているのだから。

それにね。
客観視、的なことは、けっこう誰でもできるんです。
その辺にいっぱい転がっています。
でも、 
だれでもやってて
世間に
社会に
転がっているもの。
欲しいかい?
それが苦しいから
救いを
愛を
ホンモノを
剥き出しを
創作物に
求めるんでしょう?

逆に主観て、けっこうできないんだよ。
そこいく
道端の誰かに
役職や、役割なしで自分を語れっていっても
九割が説明できないんだって。
そんなの悲しいじゃん。

自分を
とてつもなく大事にできるのは
自分。
自分の存在が認知できるから
相手も同じぐらい大事にできるんでしょう?
だって
相手を大事にするのは自分なんだから。

究極の客観視が主観につながり、究極の主観がほんとの客観視ができるってことじゃないかな。

客観視の延長線
主観をもって作品をつくるんです。
客観視こそ、自分。
主観がなければ客観視などできないんじゃないかい。

商業ならば人の目線は大事。
人に買ってもらうのが目的だから。
評価されるのが目的だから。

でも、創りたいって衝動や
愛を伝えるに
それ邪魔だよ。
客観視をたずさえて
主観で伝えなきゃ
ホンモノの愛なんて
伝わんないよ。

それにさ
創作の世界は
とてつもなく
孤独なんだよ。
絶大なる孤独さ。
普通の世間でも
本当に
分かりあうなんて
できないんじゃないかい?
その中で
長い年月
多くの愛を
共感性を突き詰めて
たくさんの人に与え続けた人がいて。
その人に心、救われたらさ
恥とか
見栄とか
んなもんぶっ飛ばして
ありがとうって
剝き出しで
愛を伝えたいよ。

たいした作品を創っていないかもしれないけれど。
私は、思いを作品で伝えることができる。

客観視とおなじぐらい
主観を大事にいているから。


…………
でもね。

こんなこといってるけど。

どんな意見もってても
それはそれ、これはこれだし
受け止めるぜ?

人は人。
自分は自分。

だから
孤独の中。
繋がったなら
しあわせなんだよ。

それ
奇跡じゃん。

それぞれ、それでいいもんね。
それも、素敵。

だから押しつけない。

奇跡、好きだし。

あははははははは!!!





2022年4月2日土曜日

ちょっとした小旅行

 忙しい仕事が続き、やっとあと
一日働けばひと息つけるという時、
まさかの体調不良。

 腹痛と身体が…動かない。
ちょうどその日は悪天候とシフトの関係で休めた。
 今のいままでこんなことは初めてで、いつも体調を崩すとしたら、仕事や大事なことを済ませた後におこった。
 だからこれは、まずい。
身体のコントロールがうまくいかないってことは、ほんとにしたいことが出来なくなるってことだ。
大事な美少女の絵が描けなくなったら、ヤバい。それこそ一大事。
何のために働いてるか分からなくなってしまう。
 結局、休んだその日は一日中寝ているという体たらく。
 美しく一生懸命働くのはいいけれど、やりたいことが出来ず、仕事のやり過ぎで動けなくなったら意味がない(それでなくても無理に頑張り過ぎて癌になるという前歴がある)。
 そもそも、手が抜けない質で
何事もやり過ぎる。
 やり過ぎたって、それであっけらかんとしていることが出来るなら何の問題もない。
 だが、かなしきかな。自分はそんなに強くない。強い人はカッコいい。そうなりたいけど、身体がついていかない。
 無理したら結局馬鹿を見る。

 …しかし、仕事のやり過ぎで寝込みつつ、絵を描きキックボクシングをやっているのだから自分は、懲りてないのかもしれない。

 だがゆっくり寝込んでもいれない訳がある。
 初といってもいい小旅行をよていしていたのだ。といっても都内ぶらついて泊まるってだけのものなのだが。
 引きこもり傾向の同居人おもちさんをつれまわし久々の表参道、原宿。
 コロナ禍もあってか店がつぶれていたり変わっていたり。なんだか華やかさが薄らいだような気がした。
もともと竹下なんかは張りぼて(出店てきな)のような楽しさがあるがそれがとても簡素、質素、さみしい。
  だから、Lindt以外お金を落とさない結果になった。
Lindtは活気がありましたね。
 いついってもたのしい。
おもちさん曰く、テンションお上りさんみたい(笑)。

 そこから赤坂スーパーホテルへ。
 スーパーホテルってなに?

そう銭湯があるホテルなんです。すごーい。
ビジネスホテルのちょっと豪華になった感じ。
 ホテル行く前に駅に成城石井があったので、酒盛りのつまみを買っていざ出陣。
 ホテルの下にはセブンさんもある。
 ホテルの部屋はというと、清潔感あって広すぎず狭すぎず。
 痒いところに手が届く。ベットが広い。銭湯はこじんまりしていたが、腐っても銭湯。申し分なし。ちょっとした旅館だ。
 いやぁ楽しかった。
特別なにもしていないが。
Lindtのチョコレート持ち込んで、プロシュートとチーズ、お惣菜とポテチ。そして、思い出のモーモーちゃーちゃー。
 贅沢の極み。
そんでホテルの一室で絵を描く。動画聞きながらひたすら、描く。おもちさんも描く。どっか出掛けるよりホテルに引きこもりほぼ自宅と同じことをする。
 贅沢。というか、しあわせ。
 ようは何をして楽しい、ではなく自分達がいかに楽しいかなのだ。
この時がとてもしあわせ。
 
 そもそも幼少期あんまり出掛けず、インドアな性質で日々過ごし、たまの旅行もどちらかというとホテルに引きこもり母の作った料理を楽しんでいるタイプだった。
 おもちさんも同じタイプでようは頭のなかのキャラクター達がホテルに来たら…と妄想するほうが楽しいらしい。
 で朝食以外はずっとホテルで絵を描いていた…。なんて、コロナ的。
 ちなみに朝食は、ホテルのカフェをやめて近くのひろ―いスターバックスで桜のフレーバーづくし(おもちさんが大の桜のフレーバー好きで、Lindtもサクラショコラドリンク、マカロン、リンドールを嗜んだ)。
 テーブルが春満開になる。
 ちなみに私はチョコレートデニッシュです。

 そして朝食後、ホテルに戻りチェックアウトまでひたすら絵を描く。非日常と日常のミックス。

 帰ってきた時には、何日もいなかった気がするし、その日にとっと帰ってきた気もした。
 
 のんびり疲れた。でも、刺激的だった。
ただ日常をホテルでやっただけ。
こんなののもたまには悪くない。