手術直前。
全摘か、部分摘出か。 10月半ば頃。入院日、肺炎の時とは違って厳かな気分で病院入口を通った。よく院内が観察できる。
やわらかい日差しだった。かかりつけの病院は入口付近の窓が大きいからすごく明るい。そこは気に入っている箇所のひとつだ。
今回の入院は大部屋で4ベッドだった。大人数はちょっと不安だった。
肺炎の時とは違う階に通された。この病院、高層ビルのような造りだからか、すごく広々していて天界に連れていかれるよな感じがするのだするのだ。
今回はなんの気なしに部屋の片付けをし、前回の入院時に経験したことをふまえ、目にみえるものを赤くしておいた(画材いれとかパジャマとか)。赤くないと落ち着かないのだ。赤命。
看護師さんの院内説明もそこそこ、手術に必要なことのチェックをした。
まず、パジャマ。当たり前だがワンピース型はだめ。これは手術関係なく病院の検査の時はかなり脱がされるので上下別のもの。これはひっかからなかったけど、真っ赤な新品のパジャマをきてきたので血とかで汚れるかも……といってくださったが、こっちとしては別に汚れても屁でもないので、「大丈夫です」とつたえると妙な顔をしていた。はは。
つぎは爪。なんでも手術中、爪の様子とかで状態をチェックするらしく、その時の保護のため透明のマニキュアをはがさなければならなかった。除光液は匂いがきついため、別の会議室みたいなところが用意され、わざわざ除光液を買ってきてとりのぞいた。恐るべしマニキュア。
さて、あとはなんとかなんだかんだクリアし落ち着いた頃。看護師さんと一緒に外科の先生が同意書をもってやってきた。
全摘か部分かの選択である。
そして、自分がだした結論は、
やっぱり部分摘出で転移が見られるようなら全摘、というものにした。
だって、もったいない気がしたから。最後の母の言葉がききましたね。それに転移してからでも遅くないかなと。
それで同意書にサインし、予定をざっくり説明され(予定表を見せられたが、なにがいちばんショックってまさかのこの日の夜から朝昼晩、翌日の朝まで食べれないのだ。まぁ水は飲んでよかったのだけれど)
薬剤師や、再度の手術前の状態チェックを終わられせ母たちが帰ったあとに今度は手術のマーキングをする。とにかくばたばた。手術が大変なんだなと実感しました。マーキングしてくれた先生は、外科の先生の補佐役みたいで、ベテランチャキチャキですって感じの女の先生だった(関西弁が似合う)
先生たちを見ていておもったのだが、内科の先生は落ち着いている雰囲気があり、淡々と説明してくれる印象があったのに対し、外科の先生はとってもアクティブ。説明も軽い。そんな違いがおもしろい。
「きんちょうしてる?そりゃするよねー」なんて話かけられた。
「手術のときわたしも立ち合うからねー」なんてはなしも。見てい元気になる人だった。
夜、腹ペコをおさえつつ消灯。だが眠れない。いや、緊張してるんじゃなく身体が疲れてないので全然眠くないのだ。その後何度も寝返りをうち、散歩してやっと寝られた。
次の日。手術日。真っ白なひかりが室内を包み込んでいる。看護師さんが来る前から支度し始めた(いつもそうなってしまう)。昼から手術のため朝ごはんなし、くう~。看護師さんたちが検温等すませ、同室の人たちの朝ごはんの匂いを嗅ぎつつ、家族をまった。
手術には仰々しいが家族全員で立ち合うそうで朝早く近くのファミレスでたべてからきてくれた。ありがたい。
昼まで他愛もない話をしてると、呼び出される。看護師さんに手術のため手術着を用意してもらい着替え、手術室の階にいくためエレベーターへ。
変な話、そこまで見送ってくれた家族を見てそこではじめて「手術するんだな」って感覚があった。それまでなんか浮き雲のようだった。いや、そのときもそんな感じだったけど。
そこからはなんだか映画のようだった。清潔で静かで重々しく、鉄の扉によって絶対しることのない、こんなところに人間がいていいものかって世界が広がっていた。厳かだった。
気がついたとには、おもい鉄の扉の前、先生、看護師さんたちがかろうじて目だけが覗いた、いわゆるオペの格好、キャップとマスク、スモッグ姿であらわれた。
しかも10人ぐらいいたんじゃないかな。たった一人の癌にこれだけの人数が必要なのかと、何度もあたまをさげてしまった。
目だけだけど主治医と、マーキングしてくれたチャキチャキの女医さんも判別できた。笑顔だった。みんなさんも笑顔だった。
そして、いざ手術室内へ。ベットに寝かされるとすごくまぶしい。とにかくまぶしい。もはや、誰の顔も判別できない。
なんか話しかけられたがよく覚えていない。麻酔がうたれた。数を数えるように言われる。数えてる途中ブラックアウトした。
と、次の瞬間起こされた。ぼーっとしてなんにも考えられない。ただ、「大丈夫?手術成功したよー」なんて言われた。うそっ、もう?はやっ!っていいたかった気がする。でも、口は重いし、全身が鈍いし次の瞬間には病室で家族や看護師さんに見守られてた。
母に「痛い?大丈夫?」って聞かれた。「うん、だいじょうぶ」っていつもみたいに答えられた、でも、身体ごと痛みの得たいのしれない物体の中にはいっていて、耐えきれなかった。「うそ、いたい」ってすぐに口をついたような気がする。その唇と喉がとてつもなく渇いていた。
家族は「そうだよね」っていっていた気がする。「今日はかえるね」それでもう記憶がない。再び深く深くおちた。
夜中だとおもう。おきたての身体がうごかない。ちょっとずつは動かせた。たしか、さっき看護師さんに麻酔の説明されたような気がするけど…全然覚えてない。てか、めちゃくちゃ痛い。いたいのは色々経験したが、これははじめて。
ああこれがからだの一部をとられたということかと、その時はじめて実感した。
動けないからどうなってるかわからないが、身体がいろんなものにつながっている。この後しばらくいたい夜をすごした。
3時間ごとに看護師さんが様子見してくれて、そのたび起きる。
朝も近くなった頃、看護師さんに「麻酔が減ってないですね」と言われた。やっと気がついた。というか思い出した。麻酔はナースコールみたいに押せばつながっているチューブからながれてくるようになってたのだ。そんな説明もされてた気がする。しかし、いってる意味わからなかったため、しらないで一夜過ごしてしまった。ただただ残念である。
麻酔のやり方がわかりやっと楽になってきた(もっと早く気づけばよかった…)。
こうして、長いながい夜があけていった。
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