2021年10月1日金曜日

悪性腫瘍とどこまでも2

 20歳になるかならないかで、癌が体内にあることが発覚。あっという間に様々な検査をすまされ、数日後診察室へ。耳にしたことはあったが、若い癌は進行が早いのですぐの治療が求められる。

 しかし、我が癌はすぐ手術するには大きくなりすぎていた。このままでは左胸全摘になる。なので先に、抗がん剤を投薬し腫瘍をできるだけ小さくする必要があった。抗がん剤なんて知らない誰かの話しか聞いたことがない。未知なる経験だ。

 ちなみに、家族の血液検査でわかったのだが我が家に癌遺伝子はないらしい。若くしてなったのは突然変異らしい。しかしながら、自分が突然癌になった心当たりがある。そのワケはたぶんストレス。幼いころの学生時代から心が渇き、情熱はあるのに自身に絶望、何とかしなければと高校生の時爆発してみたり、絵を描くことにガチになりすぎたりで、予備校まで猪突猛進してきた。自分に鞭打ち続けてムリしたある意味罰。だが、自己改革で癌になるとはおもわなかった。

 話をもどそう。そして投薬生活がはじまるのだが、先生(グレーの髪色で、まるで子供のようにしゃべる面白い先生)のかるい説明によると前半後半で打つ薬がかわり3月に始まりちょうど8月でおわる、各月大体2回のセット内容。月はじめに血液検査つき。
 この頃の癌は大きさ5センチ。よくもここまで大きくしました。リンパにも少し転移しているらしい。まだ癌かどうかわからなかった去年、にショッピングモールの保険の紹介コーナーで、乳ガンってこんな感じと触ってわかるしこりの模型がおいてあった。ためしにさわってみたら明らかに自分のしこりのほうが大きく「やっぱり、私の癌じゃないな」って同居人のおもちさんとしゃべっていた。……あの頃が懐かしい。
 次は内科の先生の診察室。抗がん剤についてはこの先生が担当。若い男性の先生。最初にあった時、午後ってこともあったのだが先生はすごく疲れきっていた。外科の先生のご指名だったのだが、「自分は治療に時間をかけるのでもし、気になるなら担当医の変更してください」が最初の言葉。あ、大変なんですねーってかんじ。まぁ、面倒なので変えなかったが。その時内科の先生から抗がん剤について詳しくきいた。先生はとことん考え尽くすタイプらしい。一生懸命だ。
 看護師さんも母も同席している狭い診察室だからか、先生が疲れていたからか、私が疲れていたせいか、癌に関わってはじめて気分がどんよりした。まぁ、しょうがない。

 はじめての抗がん剤の日。ちょっとしたお出掛け気分で打たれた。病院の施設そのものが新鮮で今じゃ受付はカードで機械に通すだけ。その他検査も、バーコードでピッ。ハイテクである。お会計も機械に番号で呼び出され自動精算機。大型病院だと当たり前とあとで知ったが、当時は感動した。
 抗がん剤を打たれる部屋はベッドかリクライニングできる椅子かでわかれている。ベッドは簡易的な個室。カーテンでしきれる。椅子は大きさ部屋にぐるりと円を描き真ん中に、色々のったワゴンを動かし、きびきび働く人よさそうな看護師さんたちがいる。まるでSFのステーション。はじめてはおおきすぎる椅子のほうでうたれた。最初の検査からこの先ずっと、採血等々で注射針をさされまくるのだが結局あまりなれない。抗がん剤の針が腕に刺さる。異物感はんぱないである。看護師さんが注意深く名前確認や薬のチェック。針を刺したときの異常はないか、体調の変化があったらすぐしらせて等々、細心の注意をはらっていた。はじめて訪れた時からおもっていたのだが、ここの病院がそうなのか、すごーく人間に対して親切丁寧。終末の方も来られるからかな。神対応で驚いた。見てて清々しい。
 大体何種類かの薬を30分ぐらいで投与。1時間ぐらいかかったと思う。腕に違和感あったが、見るものが新鮮ですぐに時間がたった。おわりも気持ちよく、母とおもちさんと近く銀座まで足を伸ばしたほどだった。そしていわゆる銀ぶらをした。
 お店を数件まわり、綺麗な夜の青がうっすら街に染みだした頃、頭が言いようのないぼうっと感をおぼえた。視界が霞みふらふらする。そろそろ疲れがでたのかと思い帰ろうと電車に乗ったとき違和感は異変になった。
 はじめての経験。歩こうとするが足が言うことをきかない。しんを抜かれた感じ。頭がぐわんぐわんする。座席に座っていることもできなかった。酔っ払いってこんなかんじじゃないかと働かない頭がおもう。実際、母の肩をかりて千鳥足だった。駅まで車で迎えにきてもらいなんとか家に着いたが、着替えられず布団に入るしかなかった。横になってる時、夕食のまえだったのでお腹になにもいれてないのはまずいと母がハーゲンダッツのクッキークリームを持ってきた。嬉しくそれを頬張った。しかし、食べることはできなかった。舌が痺れて味がすごく不味いのだ。ショックだ。なによりのショックだった。健康な自分にはあり得ないことだった。そう、これらはすべて恐るべし副作用のはじまりである。

 抗がん剤の説明で聞いていたが、こんな感じなのかとしみじみ実感した。吐き気、嘔吐、目眩、味覚障害、脱毛。そして、これらを徐々に経験していくことになる。
 吐き気や嘔吐はなかったが、肌や目が乾燥し細胞が弱まっていくのを感じた。舌がありとあらゆるものを受け付けなくなる。人工的な味が美味しくないのだ。好きなものが食べれないのが一番ショックだった。自分の場合しばらくたってからだったが、毛がさわっただけで抜けたのには驚いた。ちょっと面白かったけど。ドライヤーなんか大変だった。脱毛はきいていたので、長い髪を短く切ったが毛の処理は抜けるたびに大変だった。生まれて20年間かけて変わった身体が、異常な早さでまた生まれ変わっていくのだった。それは衝撃と新鮮さと、その生まれ変わった身体に耳を傾けることを、否が応でもさせられた。

 抗がん剤は癌に効くが、癌も自分の身体の細胞の一種なのだ。他の細胞も攻撃する。死に至らしめる癌がいた時は普通の身体なのに、その癌を死するために抗がん剤を射つと身体は弱る。あたりまえだが、なんともアイロニカルなはなしだ。抗がん剤のほうが、得たいの知れない力に感じた。身体を蝕む未知なる力…みたいな。
 


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