2021年9月23日木曜日

生命活動

 グロさ、エグさ。そして、死。
 スプラッター、ホラー、サスペンス、ファンタジー、エロ等々。
 簡単に、娯楽として世間にでまわっていてすぐ手にできる。

 今の時代、年齢規制なんてゆるく若い世代だってたぶん、それら作品を手にすることは容易いだろう。テレビ、ネット、本、絵。いや、時代関係なく古くから、人間のなんともいえないえげつなさ
ときに現実では、目を背けたくなるものを娯楽として楽しまれてきた。
 なんの不思議はない。人間の脳は安定を好むが、わずかに残された動物本能は刺激も欲する。需要がある。沢山の作品があり、創り手は思考を重ねより面白く、より深く練り上げ築きげてきた。

 では、現代でなぜこんなにそのえげつなさを求めなければならないのか。

 それは、 ‘えげつなさ’ や ‘死’ を見ることで ‘生’ を感じることができるからだと思う。
 思春期の人々はそういったものに明確に興味を持ちはじめる。たぶんもっと幼い人々もどこかでそういったものを求める。‘鬼滅の刃’が流行ったのもそれかなと。
 そして最近は、いじめが普通にある。どんな世代にも。日本は若者の自殺者が一番多いらしい。些細な理由で殺人がおきる。
 その原因がそういった作品だという話を耳にする事があるがそれはお門違いにもほどがある。
 社会が、無意識かつ迅速に脳の安定傾向で、なんともいえない‘えげつないもの’や‘死’を排除したからだ。死という感覚が麻痺し、生きることに一生懸命じゃなくても、生きていけるからだ。動物はえげつなさという価値はないし、死など考えない。ただ、生命活動のため生殖し、動物を殺し、喰って、排泄し、寝る。シンプルだ。しかし、人間が複雑な脳の進化をしたおかげで、この自然の理とは別の歩みをし繁殖したも事実。その副産物には素晴らしいものもある。代償もあるが。その代償が自己矛盾だ。本能があるのにその本能はより多くの人間が生きるため、排除されていた。  
 この前みたキアヌリーブス主演、‘ディアボロス’でもいってた。本能とルールも設けた神は、見ることを許すが触ることは禁じ、食べることを許すが飲み下すことを禁じそれをみて笑い転げてる、って。
 この脳が起こしている、自己のなかでおきている矛盾こそ、人間の面白いところなのだが…苦しさでもある。死によって、考えさせらる。死やえげつないものをみて思うのは、生きているという実感だ。そう、ルールがしっかりし安定した社会だからこその刺激が価値になり、商品になり娯楽になってしまったのだ。死がもっと身近にあったら、脳が矛盾していなかったら、お金だして刺激を買う必要はない。安定した脳世界だからこそより深く、刺激が求められているのではないか。

 絵、音楽、映像、SNS…等々、その刺激が蔓延している。生きている実感がいちばんの感動で、共感するのではないかな。それに一生懸命にならなければ楽しくない。そんな作品に出会いたいし、創りたい。






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