2021年11月8日月曜日

悪性腫瘍とどこまでも5

 前回、抗がん剤投与のため、免疫が下がり肺炎になってしまい生死の境を経験したがが、なんとか生還。面白い入院体験をし、満足しながら無事退院した。

 その後。

 肺炎入院のため一時ストップしていた抗がん剤がスタートした。
 が、今までどおり病院に電車で行き帰りする体力がなくなってしまったのと、またいつどこで感染するかわからないのでもっぱら車の移動になった。

 車の移動は面白い。自分と関係なく世界が動く。投与のあと車で、コンビニで買ったスイーツを食べれるし。プリンとかアイスとか。まだ味覚異常はあるし舌はざらざらするしで、選り好んでたべるが、車で食べるスイーツはなんか特別感がある。その後すぐ寝ることもできる。贅沢。
 で、抗がん剤投与でベッドでの投与も経験した。興奮して全然寝れんかった。相変わらず仕事熱心な看護師さんたちが懸命に働いている。
 抗がん剤はもう投与なれしてるけど、あの匂いだけは慣れんかった。アルコールのような、またそれとも違うような喉まで締め付けてくる匂い。
吐き気がする。投与されると身体がそれにみたされるのが直にわかって、流そうと水を大量に飲んだ。そう、抗がん剤をうつと鼻も異常に敏感になるのだ。病院内では見舞いの花束禁止。いたるところに注意喚起のポスターが張ってある。最初そのポスターみたときすごいなっておもったけど事実、病院のエレベーターにのり、たまたまいた見舞い客の香水が強すぎて吐き気が襲ってきた。注意喚起、納得である。

 あとは、医師の投薬前の説明してくれたが、抗がん剤うつと後遺症としてのこるかもしれない手足の痺れがあるそうで。実際痺れが起こったが、あんまり激しくないので気にしていなかった。しかし、絵を描き続けていたり、掃除機かけたりすると、痺れが激しくなり、普段は寝てればなおるのだが、あるときは寝てても辛くてさすがに看護師である母にマッサージを頼んだ。するとすごく痛んだ身体がゆっくり治っていった。なぜか涙してしまった。

 最後の抗がん剤はまさかの自分の誕生日だった。抗がん剤のあとにはよく、近くの美味しい定食屋で、がん治療しはじめてから好物になった、金目鯛の煮付けをたべた。すごく味わい深い。
 いつの間にかあっという間に1年過ぎている。今まで、抗がん剤治療もたのしくしてきたが、やっぱりもう射たなくていいっていうのが一番清々しかった。たぶん、抗がん剤で弱ってしまう人がいてもおかしくはない。それぐらい大変だった。


 そして、抗がん剤の効果の確認のために検査し、久しぶりに外科の先生の診察だった。状態は良好
。5センチ近くあった腫瘍は1センチほどに縮んだ。恐るべし抗がん剤の威力。先生も「これなら手術できるね」って言ってもらいました。よかった。
 が、問題はここからであった。乳房を全摘か残すか……。
 最初先生は「全摘のほうが安心だから」っていつものようにかるーくいってきた。自分は「あ、そーゆーものなんだなあ」ってぐらいで深く考えなかった。だから別に全摘でもよかったのだが、しかし、母と同席した看護師は固まってしまった。すかさず看護師さんが「入院日にまた伺いますね」と、助船をだした。
 あとで、母に聞くと「そんな、きれいなものを残せないなんてもったいない」といってた。母のほうが自分の乳についてちゃんと考えてくれていた。
 先生によるとリンパ節にも転移いていたので部分切除だと再発リスクが高いらしい。だからの全摘がおすすめといっていたのだ。
 なんとも、癌になってからは、短い人生のなかでいろんな初めてのことをたくさん経験したが、こんなに簡単に人生を左右する大きい選択が訪れるなんて思ってもいなかった。
 とても漠然としていた。





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