2021年10月8日金曜日

悪性腫瘍とどこまでも3

 抗がん剤ファーストインパクトの衝撃をなんとかやり過ごし、抗がん剤が生活の一部になってきたころ。射った直後はダルく横にならないとだが、その後2~3日たてば家のことをこなしたり、絵を描いたりができるようになった。

 弱った身体に意識を傾けることがあたりまえになる。以前から自分にとって私はなにより大事なものだが、身体にそれまで以上に気を配った。それを教えてくれたのは抗がん剤を射つにあたって、レクチャーや相談を、つけつけてくれる病院のセンターだった。

 髪の毛が抜ける前。自分以外の利用者も交えつつそのレクチャーは、とても参考になった。まずすべての毛が抜けるとはどういうことか。眉毛がないとすごく怖い印象になるとか、かつらがなぜ不自然になるのか…これはもみあげがあるかないかである。ないと確かに変なのだ。あとはかつらの時はメイク濃いめでとか。体力的にめんどくさかったら眼鏡、マスク…これは下がる免疫力にも対応して出かけるときは必ずつけた方がいいと。それからかつらの高い、安いの違い。爪の手入れ…これも驚いたのだが抗がん剤で爪がぼこぼこになり変色し抜ける。だったら、つけづめをつけたり保護用のマニキュアをつけたらOKとか。あとは乾燥。皮膚が乾燥しまくる。こまめな水分補給(これは前からやっていた。抗がん剤のあと口の早く身体の中の薬を薄めたくて大量に飲んでいた)と保湿ケアをしてくださいとのこと。なるほどな話ばかりだった。

 最後に、これらを教えてくれた方がいっていたのは、こうなったら非日常として‘楽しめ’ってことである。変化を落ち込まず、今までやったことないものを楽しめと。すごーくためになった。

 そんなありがたい話をもとに、自分は色々試してみた。つけまつげ、つけづめ(絵ばかり描いていたのでやったことがなかった)本格的にメイクしてみたり、マスクも、かわいいものをつけた。かつらはおもいきって薄いピンク色やハニーブロンドをつけた。いつも着ている赤い服にすごく似合った。銀座で外国人のスナップの人にも声をかけられたぐらいだった。地元じゃかなり浮いたけど。でも楽しかった。身体表現の新たなる可能性である。

 そんなこんなで、外に出かけるのはとても楽しかったが、すぐにバテてしまう。日に日に体力は衰える。しかし、脳みそと精神は元気で、母いわく「なにがなんでも生きてやろう」って感じだったらしい。確かに必死だった。当時の絵にもありありとでている。
 しかし、食欲も免疫力も下がる一方で1回5月頃、高熱と脱水と低ナトリウムで緊急で近所の病院にいった。熱が40°近くあるのに水、スポーツドリンクが飲めず嘔吐。激しい目眩と頭痛。耐えきれず叫んでしまった。車で病院に、そして車椅子でベッドに運んでもらい点滴を射ってもらった。車椅子なんてはじめてでいつもより目線が低いのは新鮮だった。まぁそんなことより苦しかったんだけど。
 いや、低ナトリウムは恐ろしい。本当に恐ろしかった。この時から、食欲なくても塩の入った生梅飴だけは舐めるようにした。

 そして6月頃、抗がん剤が後半になるかならないかの頃。喉の調子が変になってきた。咳がでるようになった。なにしてるでもないが、咳がでる。軽く喉がつまる感じ。それから数日で、食事するたび咳がでてほとんど食べれなくなった。かろうじて食べたあとも咳が止まらず、横にならなければならなかった。いままでも、何かやるたびに少し横になって休むのは当たり前だったが、すぐ回復した。しかし、今回のこの咳は全然おさまらない。日に日に酷くなる。段々胸の骨や背中が咳のしすぎで痛くなる。咳のせいで息ができない。母がこれはまずいとまた、急遽近所の病院へ。また車椅子でこの前のベッドに運んでもらう。起きあがっては激しい咳がでるので、寝ながら多分レントゲンを、とった。明確にはあまり覚えていない。その後、すぐにお医者さんが結果をだしてくれ、掛かり付けの病院にすぐ診てもらってくださいと、手筈をすぐ整えてくれた。朝一番だったが、もうお昼だった。会計がすむまで病院食堂でコンビニ塩レモン春雨スープと、プリンを買ってもらったが、春雨スープは…だめだったので遠慮して、プリンのみいただいた。甘さが痛んだ胸をとろかす。
 それですぐさま、母は入院自宅をし、都内の病院へ車で向かった。休日だったが、道路は空いていてはやく着いた。この時の道路は、またいつもと違った景色で都会を流すのもなかなか面白い。身体はそれどころじゃないが。
 休日の病院は閑散としていた。裏口から入り普段は小児科だが、休日は緊急診察室になっているところに通された。また車椅子で移動。待合室にはおおきいテレビ、絵本の本棚、アンパンマンやら壁にいっぱいいた。そして看護師さんに呼ばれて奥の診察室へ。その日の担当であるお医者さんが診てくれた。ベッドに寝かされ、鼠径部に注射針をさされる。何の注射だか、説明が聞き取れない。それからストレッチャーでレントゲンやMRIを受ける。休日だというのに技師さんがいるのに驚いた。検査後、また診察室へ…。

 母はとっくに気付いていたが、この時、抗がん剤による免疫力低下で肺炎になったのだ。日和見感染の肺炎。できあがったレントゲンの肺は真っ白だった。





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