2021年9月27日月曜日

悪性腫瘍とどこまでも

 それは突然、なんの前触れなしにだった。
 
 芸大に1浪後、なんかが違うなと、大学にはいるのをやめる決断した。その年6月頃、しこりに気がついた。左胸上あたり。最初は、乳腺が張ってるだけだとおもってた。それぐらいなんの違和感もないのだ。ただそこにあるだけ。どうみたって身体の一部。それだけだった。
 それからしばらくして、だんだんしこりがおおきくなった。で、8月頃母に話した。その時もなんかホルモンで胸がそうなっただけと考えていた。我が家は母が看護師なので、医者いらずで過ごしていた。少し母は心配したが、ネットで調べてみて若い人のしこりは乳腺症なことが多いと書かれていた。だから放置していた。

 そして、1月。しこりは、日に日におおきくなっていた。少し気になるからと、母が都内産婦人科に診察してもらうことにした。

 なかなかクリニックなどいかないから(しかも産婦人科)、そこにいるのが違和感しかない。診察してもらって「はい、異常ないですね」って言われおわるものだと高を括っていた。

 訪ねたのは女性のお医者さんだった。その先生は触診したあと、ぬるぬるのローション塗りたくって超音波で左胸をみた。表情がみるみる曇っていった。はてな、なんだいその顔は。不信におもっているとその日のうちに局部麻酔をし、針検診をしなければならなくなった。そんなの当然ながらはじめてで、麻酔してんのに痛いのなんの。ああ、皮膚を切るってこんな感じなのか、はじめての痛覚。ちょっと涙目。それから先生は「結果が出しだいだが、悪性腫瘍を覚悟してください」と。また「かなり大きく、若いと進行が早いので、大きい病院を紹介しますので至急そちらでみてもらってください」だそうで。その頃自分は19歳、だがこれといって怪我病気、風邪でも病気にいかなかくて平気だったのに、大きい病院に紹介?えぇーっ!、しかでてこない。その帰り、恵比寿で大きい苺のショートケーキと紅茶をいただいた。
 その時の母は、いままでみたことない、強いが切ないこぼれそうな表情を醸していた。ケーキは美味しかったし、笑ってもいたが。
 それから3日ぐらいでそのクリニックからやたら大きい18階建ての国立病院、しかも当時乳腺外科のトップの先生にみてもらうことになる。そこまでとんとん拍子で、気づいたときは国立病院の診察室で、先生と対面し、自分の着ていた赤い服をかわいいと誉めてもらっていた。看護師である母に医者はそっけないよ、と言われて覚悟していたので緊張がほぐれてしまった。

 診断結果はこの時はじめて聞いたのだが、悪性腫瘍、ステージ3、大きさ5センチ強面構えのわるいやつ、だそうで。次の日から、検査ぜめ。ありとあらゆるはじめてで、待ち時間の長い検査で丸二日使った。血液を採取され、手足固定で電気当てられ、ドラマでしかお目にかかれないウォンウォン鳴る機械に横たわる。しかも20歳の癌なんてめずらしいので家族の血液も検査し、さらに自分の癌細胞はサンプルのため渡米した。自分はアメリカいったことないのに、癌に先を越されてしまった。
 その日、18Fの病院併設展望レストラン。検査疲れをクッキークリームのアイスで癒す。なんともいえない白い曇天。あたりを一望できる景色。いろいろなことがはじめてで興奮し疲れていたが、普通に暮らしていたら経験できないものにワクワク感もあった。自分の癌を他人事のように感じることはないが、好奇心が一番この時の心を占めていたと思う。

 さて、これからが長くなるのだが、これが最初の癌と私の出会いである。いささか駆け足過ぎてよく詳細を覚えていないのだが、来たものは受け入れるしかないので癌にたいして絶望感はない。学校にいたときのほうがよっぽど絶望していたと思う。では、癌との生活について続きはまた今度で書こうと思う。





2021年9月25日土曜日

世界最大のチョコレート工場

 2020年。つい最近のことなのだ。Lindtはチョコレート工場(博物館)をつくった。なんといっても世界最大!すばらしい!まさに、‘チャーリーとチョコレート工場’だ。夢の工場をつくってしまうLindt。その創造力がすごい。
 その名は‘Lindt home of chocolate’!白い壁に金の文字で書かれた横に広い2F建てのたてもの。そこではLindtの歴史が学べるとかなんとか。そして、なんといってもチョコレート工場(?博物館か)。チョコレート作りの体験や、行くとこいくとこにチョコレートの試食が用意されている。歩くだけでチョコレートをたべ尽くせるのだ。
 そして、目を奪うモニュメントたち。まず入り口で巨大なチョコレートの滝に出会う。そう、表参道 フラッグシップ店の元になったやつ。あの大きさで、本物のチョコレートが流れてるんだから感動以外なにもない。きっと、綺麗なんだろうなぁ。
 ほかにも大きいリンドールのモニュメントととか、先ほどのフラッグシップ店にもあるがチョコレートがでてくるガチャガチャとかある。目がたのしい。VRで歩きまわりたい。
 もちろんショップ、カフェも充実。やたらおおきい。しかもここでしか味わえないチョコレートドリンクとかあるらしい。うー…まさにチョコレートづくし。

 そんな、チョコレート好きにはたまらない場所、もちろんあかぐまは何がなんでもいきたい。一度お目にかからなければ死にきれない。
 Lindtさんは本当にドストライクなところに目をつける。簡単に共感してしまう、単純なあかぐま。
 そもそも世界最大のチョコレート工場なんて夢がありすぎるだろう。RINDORのパッケージといいキラキラで華やか。味もそれに劣らず夢を見せる。あぁLindt。脳の栄養源。
 なんでもそうだけど、そのひとつの商品に誰かの熱量がこめられると、商業を超えてアートの領域にはいるよね。それを堪能できるんだからいい世の中だ。

 まぁ、こんなご時世なのでなかなか出かけられないし、Lindtの新商品、ヘーゼルナッツプラリネたべながらネットで博物館を見よう。あぁ、妄想である。




2021年9月23日木曜日

生命活動

 グロさ、エグさ。そして、死。
 スプラッター、ホラー、サスペンス、ファンタジー、エロ等々。
 簡単に、娯楽として世間にでまわっていてすぐ手にできる。

 今の時代、年齢規制なんてゆるく若い世代だってたぶん、それら作品を手にすることは容易いだろう。テレビ、ネット、本、絵。いや、時代関係なく古くから、人間のなんともいえないえげつなさ
ときに現実では、目を背けたくなるものを娯楽として楽しまれてきた。
 なんの不思議はない。人間の脳は安定を好むが、わずかに残された動物本能は刺激も欲する。需要がある。沢山の作品があり、創り手は思考を重ねより面白く、より深く練り上げ築きげてきた。

 では、現代でなぜこんなにそのえげつなさを求めなければならないのか。

 それは、 ‘えげつなさ’ や ‘死’ を見ることで ‘生’ を感じることができるからだと思う。
 思春期の人々はそういったものに明確に興味を持ちはじめる。たぶんもっと幼い人々もどこかでそういったものを求める。‘鬼滅の刃’が流行ったのもそれかなと。
 そして最近は、いじめが普通にある。どんな世代にも。日本は若者の自殺者が一番多いらしい。些細な理由で殺人がおきる。
 その原因がそういった作品だという話を耳にする事があるがそれはお門違いにもほどがある。
 社会が、無意識かつ迅速に脳の安定傾向で、なんともいえない‘えげつないもの’や‘死’を排除したからだ。死という感覚が麻痺し、生きることに一生懸命じゃなくても、生きていけるからだ。動物はえげつなさという価値はないし、死など考えない。ただ、生命活動のため生殖し、動物を殺し、喰って、排泄し、寝る。シンプルだ。しかし、人間が複雑な脳の進化をしたおかげで、この自然の理とは別の歩みをし繁殖したも事実。その副産物には素晴らしいものもある。代償もあるが。その代償が自己矛盾だ。本能があるのにその本能はより多くの人間が生きるため、排除されていた。  
 この前みたキアヌリーブス主演、‘ディアボロス’でもいってた。本能とルールも設けた神は、見ることを許すが触ることは禁じ、食べることを許すが飲み下すことを禁じそれをみて笑い転げてる、って。
 この脳が起こしている、自己のなかでおきている矛盾こそ、人間の面白いところなのだが…苦しさでもある。死によって、考えさせらる。死やえげつないものをみて思うのは、生きているという実感だ。そう、ルールがしっかりし安定した社会だからこその刺激が価値になり、商品になり娯楽になってしまったのだ。死がもっと身近にあったら、脳が矛盾していなかったら、お金だして刺激を買う必要はない。安定した脳世界だからこそより深く、刺激が求められているのではないか。

 絵、音楽、映像、SNS…等々、その刺激が蔓延している。生きている実感がいちばんの感動で、共感するのではないかな。それに一生懸命にならなければ楽しくない。そんな作品に出会いたいし、創りたい。






2021年9月14日火曜日

美少女論

 短いけれど、生きてきたなかでずっと描き続けていたもの…たぶんこれからも描き続けるもの。多くの人が惹かれ、それを描いた作品が世にごまんとある。それだけ魅力的なモチーフなんだとおもう。…美少女、今回はその話をしよう。

 自分の中にある、美しいものの形容が美少女だとおもう。
 幼い女の子が、少女アニメにでてくる女の子を描いたりするのは自分の投影と憧れだ。しかし、年齢を重ねると男性のほうが美少女を描く。しかも上手いし、可愛い(これは羨ましい。なぜか女性が女を描くと客観視がなくなる気がする。それはそれでいいのだが)。これも、一種の憧れかなと。性的欲求で描かれている方もあるとおもうが。老いも若いも関係なく美しい少女は目を惹き付ける。かくゆう自分もその虜の1人。
 その虜たちの理想の美少女は各々ある。美の基準がそれぞれで決まるからだ。フェティシズムだね。アニメ系の美少女(ここでいう‘美少女’はカテゴリーだとおもう)、バリュテュスらの宗教的な神聖化少女ら、とにかくセクシャルなロリータ、ジブリの原始的生命力と淑やかさを兼ね備えたヒロイン、完璧な造作の人形等々、それに想いを馳せるのだ。
 さて、自分を省みよう。自分の美少女、自分にとっての美少女だ。
 幼い頃、絵を描く上で、頭のなかで形だっているが言葉にしなかった。もともと、言葉というものが後追いのようで嫌いだったからだ。美術予備校生時代、それを指摘されたことがあり腹がたてたことが……まぁそれはおといておこう。今は言葉にしよう。
 自分にとっての美少女、皮膚がしっとりと滑らか、まっすぐな漆黒の髪も艶めき濡れて前髪が重ために整っている。眼は長い睫毛に囲われ、零れるような宝石であり、水を湛えた宇宙、その奥深く生命の始まりと終わりが繰り返されている。唇は果実。それほど高くない背丈で、身体は柔らかく硬く細く。……こんなところだろうか。自分のなかで、繰り返し歳を重ねるごとに、完璧に創られた少女像だ。もっと細かく細密描写できるが、長ったらしくなるし無意味だ。今、描き挙げた少女像を、現実世界で破片でも見かけると心すこし傾く(しかし、完璧なわたしの美少女はこの世にいない…だから描くしかないのだが)。より自分の美少女像を明確にするため色々観察するのだ。今度は中身についてだ。そう、問題は内側。美というものは中身からでてくるのだ。シャネルとか、レディーガガとか。‘コロンボ’の殺意をもった女犯人もすごくセクシーだ。心根、ってやつである。どんなに造形よくても中身が所作、仕草、表情にありありとでる。例えばオードリーヘップバーンは、あの眼の輝きや身体つきやバレエ的動作は、芯の強さが表れてるとおもう(昔の映画特有の、セットや照明の輝きはなんであんなに美しいのだろう…)。
 そう中身…すごーくむずかしい。だって美少女は遠くでも目だつし細かな目鼻立ちの造作は説明したくなるほどなのに、近くにいればいるほどぼんやりとして抽象的、なんだかわからない印象が残り、言葉がでてこない。漂う色香は夢心地にさせる、脳内麻酔だ。だからきっと、なんにもない、からっぽ、底知れない。それかとても原始的、本能と強い意志があってほしい。それが理想。アニメ版、原作版セーラームーンの土萠ほたるちゃんがそれに近いかな。美少女の明確なインスピレーションを与えた森茉莉さん著書、小説‘甘い蜜の部屋’ 牟礼モイラは感動した。言葉であれだけ表現できるなんて…である。

 物語などの人間を観察し、なぜこの表情この色香この仕草…と思考する。自分の‘美少女’という世界のために。それがおもしろくて仕方がない。



2021年9月5日日曜日

悪魔の弁護人

 Huluはいい。映画がこんなに身近になるなんて。
 といっても昔から、映画は多少みているのだ。幼少期、住んでいた家2階建。その家は広さはあるが、自分の部屋というものがない。1階おおきいテレビがある部屋(今でいうリビング)と、キッチン、家族4人で寝る部屋(和室…20歳までその和室に2段ベッドで寝ていたとなると、酔狂になるのだろうか)がある。ちなみに2階は父のアトリエ。朝ごはん意外の事柄、すべてがテレビのある部屋で行われていた。
 昼ごはん、夜ごはんの時、絵を描くとき、宿題をやっているとき、父がおおきいテレビで映画をみている。録りためている午後のロードショーの‘遊星からの物体x’とか、‘鳥’とか、TSUTAYAで借りてきた名前も知らない映画が勝手にながれている。それはそれでなかなか楽しい。なので同い年のクラスメイトよりは多少、映画に慣れ親しんでいたのだ。
 AmazonprimeとかHuluを知ってからは、特に好きなやつや、気になっていたものがみれていい。しかも何回も。それは現在の同居人ぬぴさんも同じで、昔に何回も好きでみた映画など教えてくれる。‘未来世紀ブラジル’とか‘リーサルウエポン’とか(ぬぴさんはアマデウス好きで上映されていた時何回も通ったらしい)。今回教えてくれたのはたまたまHuluにあった‘ディアボロス’。
 やぁ、おどろいた。主演があの‘マトリックス’のキアヌ・リーブスと‘ゴッドファーザー’アル・パチーノ’じゃん!んなっ早くおしえてよっ!である。そんなん、みないわけがない。で、早速みた。

 (ネタバレ?)感想…とよべるのか。ほんとみてよかった。空気がよく、主演が最高で、話もおもしろかったらそうなるだろうが。神の世界と法律。夢想と現実。いや、法律も幻想だが。悪魔(アル・パチーノ)に惚れられた美しい容姿の無敗弁護士(キアヌ)…まぁ悪魔自身ナルシストだろうから自分の遺伝子を愛さずにはいられないだろう。こく、濃くその血を残すため息子であるキアヌを自分の娘と、まぐわせようとするのだから。そのナルシシズム好き。
 悪魔に誑かされ、キアヌの奥さんが狂っていく。その過程で、新居の壁をなんども塗り替えめちゃくちゃな色もよかったがニューヨークのビルの中、最上階悪魔の寝るところのない部屋もよかった。寝るところがないってすごく色っぽい。動く巨大レリーフの前、大きなテーブル。あそこで最後の狂気の掛け合いが、繰り広げられ選択を迫られる。まるで、宗教絵画やオペラだ。
 転がるだけ転がりもう、止められない。あとは悪魔の蜜に溺れるしかない…濃い血、遺伝子の呪いと、もうあとは自分自身との戦いと選択…弱いんだよねぇ、そういう設定。‘少女革命ウテナ’とか、同じ幾原さん原作の‘ノケモノと花嫁’とかさ。

 ぬぴさんは丁度いいとき、欲しいときにいつも、インスピレーションの源みたいなものをなげてくれる。その要素を取捨選択するのは自分の裁量だが。あの映画の世界観はまさに蜜の味。‘ちょうどほしかったあの商品!’的な感覚だ。
また、絵に新たな要素が加えられるかもな予感だ。たのしいみだね。たのしみます。




2021年9月3日金曜日

最高峰くらべ2

 わーい、Lindtエクセレンスたべくらべしてみました第2弾。

 今回は、新登場エクセレンスシリーズの‘ミルクソルトキャラメル’と‘ホワイトココナッツ’。以前あったエキストラクリーミーがタブレットサイズで、なくなってしまったので小さいサイズと、リンドールのシーソルトキャラメル。ホワイトココナッツには、ココナッツアイスクリームフレーバーのスリムタブレット。ほぼ同じなフレーバータイトルだけど、味が全然違うのよ。そもそもエキストラクリーミーは、キャラメルみたいな濃厚さ。そこにキャラメルと塩の味が濃くでてるのが今回の、新シリーズ。リンドールのキャラメルシーソルトは意外に上品にさっぱり。いや、くらべるとね。
 エクセレンスのホワイトココナッツはサクサク食感。口中にいっぱいひろがる香りと口溶けが最高。対して、スリムタブレットはアイスクリームのフレーバーってだけあってすごーくクリーミーな味が最初にくる。あとからココナッツのやさしい味わい。まさしくスイーツ。全然違う味。Lindtさんすごいよね。
 話によるとこのエクセレンスシリーズ、はじめてだしたのは1989年。70%の味。カカオのパーセンテージをだしたチョコレートもはじめてのことだった。(ちなみにリンドールは1949年)その時から、最高級の素材をつかい五感をたのしませるという志のもとつくられた。ほんとに絶妙なところをついてくる。おいしい。

 まだ、新商品がでてるので食べます。今度はグランデ。たのしみー!




2021年9月2日木曜日

最高峰くらべ

  秋ですねぇ。秋といったら新商品。秋いったらチョコレート、たべたくなるなる…いや、一年中、あかぐまはチョコレートがたべたい。
 Lindt、秋の新商品。新エクセレンスタブレットシリーズ!すっごくおしゃれなブラックの地に金文字。チョコレートにフリーズドライのフルーツや、ナッツがちりばめられているのが、窓になったかみ紙箱からみえるパッケージ!どれもカカオ70%で、オレンジアーモンド、キャラメルシーソルト、フランボワーズヘーゼルナッツの3種類!こちらも通年で店頭にならぶそうです。
 今回、通年でおいてあるカカオ47%のオレンジ、キャラメルシーソルトを一緒に購入。本当は、フランボワーズと、クランベリーヘーゼルナッツを買いたかった。しかし、フランボワーズは販売終了、クランベリーのほうはLindtになかった。温かいセイロンの紅茶でいただきました。味がよくわかるように。
 47%はおなじみ。絶妙なバランスハーモニー。オレンジやキャラメルの味わいがしっかりとかんじる。
 70%のほうだけど、すごーくエレガント。上品。カカオの味わいを引き立てるフレーバーって感じ。お酒とかにあいそう。時間の高級感演出に。エクセレンスは基本、贅沢だけどね。特にフランボワーズはとても味わい深かったな。

 Lindtまだ、新商品があるのでまたたべくらべます。いやぁ、たのしいな!秋は!