2022年1月21日金曜日

心を読み解く心理戦 + THE MENTALIST

 もう何周目だろうか。海外ドラマ‘メンタリスト’をずーっと見続けている。

 「贅沢なイギリスな推理もに仕上げた」という話が、どこかのネットにのっていた。イギリス人がアメリカで作ったドラマらしい。
 なるほど。確かに。主人公パトリック・ジェーンの騙しうちは上品にお見事だ。


 とにかくこのドラマ、配役がメチャクチャいい。
 ジェーンさん役のサイモン・ベイカーが何個も主演男優賞をとっているのもうなずける(吹替えの郷田ひろみさんの声もすごくあってる)。目の動き、表情筋の使い方アッパレって感じである。

 その他のCBIのメンツ、その他犯人役、赤ん坊までよく見つけてきたなと思う。メンタリストの話だから当然なのかもだが、この人たちの顔芸はスッゴい細部までこだわっている。見てておもしろい。
 
 要は視聴者にもメンタリストの経験をさせてくれるのだ。
 
(ネタバレ)
 シーズン6でジェーンさんとカッコいいヒロインのリズボンが結ばれ最終的に結婚する訳だが、シーズン1から二人の愛情が見てとれる。その微妙な丁寧に描写が表現されている。恋愛の綴りとして完璧だなあと。
(記憶をなくしたジェーンさんがリズボンそっくりな人を後見人にしていたり、一番最初に渡した折り紙を結ばれた次の回でも渡していたり)

 とにかくセリフも、何でこの言葉をこの時に誰に言ったのか、探るのがめちゃくちゃ面白い。最初のキャラ設定がしっかりしてるから話の辻褄がとっ散らかることがないのかなと(レッドジョンはびっくりするぐらい呆気なかったけど…あれはある程度誰にするか何人か決めていて最後誰にするか選んだのかなと勝手な推測)。
 あのトリッキーな推理も手伝ってつい何度も見てしまう。ショーだね、まさしく。
ああ、この時にジェーンさんはこの人が犯人だって気がついてるなあ、とか。さすが主演男優賞ものの演技。眼圧がすごい。
 キャラクターが主人公問わずかわいらしいのは得である。
 
 もう何度も見すぎたせいで、冒頭数分で事件の概要がわかるのだが、作業用BGMみたいに作業の邪魔をしない、かといって聞き応えがあるドラマ。聞いているだけで感動できるのだから、素晴らしい。いつ見ても新たな発見があるのは、大切に作られている証拠ではないだろうか。
 物語は贅沢でなければ。



2022年1月16日日曜日

悪性腫瘍とどこまでも8

 癌術後。
 

 退院し、いたって良好な生活を送っていた。
 もちろん、身体の一部分がないということを身に積もらされる生活だが。
現在は慣れてきたが、この頃は右手ばかり使うと首から肩、手先にかけて痛みのような痺れがくる。
絵を描いたり、家事、スマホ、お出かけもその事を気にかけなければならない。すぐに疲れるのだ。
 身体の微妙な変化にたいしてこれだけ敏感になってしまう。身体が精密機械だといわれているのが納得だった。

 そして、癌治療最終段階。
 ついにきた。放射線治療っ!どんっっ!である。
 もう、名前だけでTHE癌ってかんじがする。
黒いマジックで線をかかれた時は、ちょっとドキドキした。ようは、この線他のところに放射線があたらないようにの印なのだ。
 つくづく、がん治療を通して思ったのは、この悪性になった細胞を弱らせるために、当たり前だが、他の細胞にも害のある治療をするのだ。医療よ、よく考えたものだ。
 場所は病院地下。ちょっと他のフロアとは違う雰囲気。静かであまり人数が少ない。
 12月、正月前に終わらせるつもりでみっちり予定がはいった。

 ちょっと関係ない話。
 放射線治療の技師さんに度々お会いして、思ったこと。え、なんで皆さんかっこいいの?
 そう、なんだか、こざっぱりしていて見栄えがいいのだ。偶然かもだが、やっぱり細かいところまで注意しなければいけないから、自然と見ためもつくろえるのかしら、とかおもったり。

 さて、話を戻す。
 通勤がてら通ってもOKとかで、朝早くから行っている放射線治療。
 体力向上のため地下鉄で行く。抗がん剤をうっていた時は、外歩いただけでもう限界で寝込んでいたのに、それと比べたら大きな進歩である。
 ただ放射線をうけるだけだが、超お洒落していった。ただの気分である。まあ、そのあとで遊ぶためでもある。
 治療だけだとそんなにかからないが、病院あるあるの待ち時間が長い。
 待合室でNHKが流れてるなか、本を読む。呼ばれる。上半身すっぽんポンになる。これまた大きな機械で寝っ転がりうであげて放射線をあびる。おわり。
 このサイクルを1ヶ月間ずっとやるのだ。
 なかなか、通学していた頃を思い出す。このちょっとした囚われが懐かしい。
 放射するのはたった3分程度だった。毎日のように顔を合わせる技師さんたちともたった3分だがよく話した。ほんと、親切な人たちである。

 さて、はれて治療をし終えたあとは大都会で遊びまくる。
 この約1年間、身体が弱ってしまったせいでまったくどこにも行けなかった。いや、行くどころではなかったのだ。だから、お金だけは異様に貯まっていた。
 高級チョコレート店に通ったり、フルーツパーラーでイチゴパフェたべたり、ギャラリーをみたり、ショップで服みたり、スーパーでちょっとした、肉やイクラを買ってきて創作料理をしたり。
 もう、治療中にできなかったことをやり尽くした。
まっ赤な服を繕ってである。この時はもう帽子だけで出歩いていた。
 髪の毛がなくなっておもったのは、とてもしっくりくるなと。
 つるっぱげが「これが私だ」と妙に納得してしまった。
 なんだかな。

 要は、夢と演出に浸ってはっちゃけたのである。
 この、はっちゃけのお陰で回復が早かったと信じている。うん。
 とても、贅沢だった。
あんまり、買い物とかお出かけとかしなたちだがこの時ばかりはすごーく楽しんだ。これぞ鬱憤晴らす、である。

 その後、放射線しながら(あんまり副作用はでなかった)遊びまくり、年内で治療を終えた。
 最後の日は技師さんがわざわざ入り口までお見送りしてくれた。やさしい。

 さて、お正月。放射線治療から解放され
喜びのあまりほとんどしたことのない年始そうそう出掛けたのだが………
 さっき、いったようにこの頃には生まれたての赤ん坊のような毛が生えはじめ帽子だけかぶって出掛けるようになっていたのだが
それが人々には奇妙に見えたらしい。そう、宇宙人到来。
まっ赤な洋服とばっちりメイク。キャップだけの頭。……まさかの注目の的。もちろん悪い意味の。
銀座や表参道ではスナップは撮られたどさ。

 すれ違い様に「オカマじゃんっ」とか、笑われる始末。そもそも、奇抜な格好だったけれど、当たり前のように病院とかでは受け入れられていたし、かなり露骨に見世物になってしまったので、ただ驚きとほんの少々傷ついた。
 そうか、自分は異世界と非日常にいたんだなと、しみじみおもいました。
 はは、今ではいい思い出です。

 そのあとも、体調がめきめきよくなり、お出掛けしてはまっ赤な服装にキャップだけは目立つようでなんやかんや見られまくった。
 でも、面白いのは病院では大好評だったのだ。人間性かな。


 こうして、癌のための治療が一段落したのであった。





2022年1月10日月曜日

富江

 作品でなんどもなんども見返してしまうのは、自分自身のなんかに触れるのだ。いわゆる、イデアってやつに。



 美少女、富江をよく知ったのは実はつい最近このまえなのだ。
 伊藤潤二さんの1987年、処女作の漫画だ。‘少女椿’もこの頃だ。
 もともと、伊藤潤二さんも富江も知ってはいたのだが美しい少女富江の画像をみる程度で深くは追求しなかった。
 
 はじめて富江に触れたのは最初期、1998年(1999?)版の映画だった。
 もともと美しい少女(好みな黒髪ストレートの)の話だと知っていたし、‘学校であった怖い話’の影響ですごく興味が湧いたわいたのが理由。
 そして、肝心の映画だが実写なのにすごく楽しめた。
 あの空気感もいいが音楽が特に好きだ。単純な怖いではなく、ホラーなのに柔らかくおもしろい、人間の狂喜の頂点の恍惚に似た圧巻。そして静かに流れていく。
 のちのち、原作の良さがちゃんと表現されてるなと思った。
 他のドラマ版や映画(色々含め8本もある)も少々見てみたが、やっぱり最初のが好き。

 それで、はまってしまい富江だけ集めたコミック上下巻を買い
アニメ‘伊藤潤二 コレクション’をみた。

 まずコミックはもういうまでもないがあの緻密な描写で描き出される独特な美しさと怖さ。
 最初期からだが、人物のラインがとても綺麗なのだ。
 女の子の脚とかすごく見惚れてしまう。あと美少女のお約束。目と髪の毛が、キラキラ。
 富江まぢ、かわいい。
もう、ホラーと美少女の関係性をこれでもかってぐらい体現していた。

 で、アニメのほうはすっごく面白かった。
 映画とはまた違った感じで、スタッフさん達の愛を随所に感じた。伊藤さんの作品は怖いけど全体的にユニークなのだ。どこか笑えるって感じ。
 富江に関しては、もう…可愛い。
声と色彩だけでこんなに嬉しくなるものか。完全に富江にやられている自分がいる…。(映画版 禁断の果実でもそうだがアニメの富江は赤い服を着ているのが印象的に描かれている。やっぱり、美少女には赤い服)
 漫画からアニメにする際におきる若干のズレを想像力で埋めて作品を壊さず、生き生きとしたキャラクターが好き。
 そう、伊藤さんの作品には美少年美少女、異形の怪異が欠かせない。その彼らが世界観を創っているのだろう。

 永遠に生き続け、美しさで老い若い男女問わず魅了し挙句の果て、殺したいという執着に刈られ終着するという富江。
 これぞ、美少女の末路。
富江は、きっと富江という新生命体たのだろうと思う。




2022年1月2日日曜日

美少女論2

 彼女たちの美しさに日々、救われている。

 ようは、ほんとの美少女なんて夢物語にちかくて、いるようないないような。美という価値観は人それぞれで、表だっての共通理念は作りものもあって……。

 つまり、基準はないということだ。大事なのはどう表現するか、どうしたら美少女という曖昧糢糊を形にできるかである。

 1998年版‘富江’なんかはいい例で、菅野さんが演じる富江は序盤顔を見せない。でも雰囲気だけで美しき顔を想像させ、長い髪と姿形、声で美少女と思わせる。

 あとは、‘女の子にパーティーで話しかけるには’。これは学校であった怖い話の作者おすすめでみてみた。
 すっごいおもしろかった。やさしくぶっとんでいて、やっぱりやさしいって話。
 そこにでてくる宇宙人の女の子ザンは、整った顔立ちではないのに可愛く、邪気なく、美少女だ。


 この前、映画バージョンの‘地獄少女’がやってたので表の画像の主人公、閻魔愛の女優に惹かれて見てみたら……まさかの閻魔愛ちゃんが、他のキャラクターよりデカイ。すごーく気になってしまう。
 まあ、演じたのがモデルの玉城ティナさんだから、しかたないのかもなのだけれど………むずかしい。

 ようは、色香の演出だ。
色香があれば、それっぽく演出できれば勝ちである。

 かつての資生堂の広告、山口小夜子さんのような醸し出されるもの。匂いたつ、ずっと浸っていいたくなるような、ミルクのような趣。
それはまさに魔性。魔力。魅力。

 学校であった怖い話なんて、ゲーム中のキャラクターのグラがその都度違うのに、言葉だけで美少女、岩下さんを表現するのだからすごい。


 大事なのは、いかにそう見せるかなのだ。でも、世の中ってだいたいそうゆうものだね。お店とか、流行とか、情報だとか。
 でも、そういう風に見せて、そのなかで本物の魔性を創り出せたらそれは永遠になるのだ。


 その永遠がみてみたい。
 美少女とチョコレートは裏切らない。