2021年12月28日火曜日

夢売る仕事

 ものがなくても、それに価値があれば対価としてお金が発生する。

 サービスだったり、情報だったり、安心だったり、丹精こめて作り上げた空気感だったり、興奮や感動だったり。
 そういったものは形ないのに、形あるお金で支払うのだ。よく考えると酔狂だ。
 でも、ものはいつか壊れてなくなる有限と考えるなら、そういった形ないものは一生ものになるかもなのだ。人生に彩りをあたえてくれるかもなのだ。

 さて、実在のものに金を支払うのと夢に金をつぎ込むのどちらが得なだろう。

 遥かむかしの物々交換は利にかなっている。
 でも、この異常に発展した社会ではものが、その‘物’が存在しないことがある。
 クレジット、ビットコインなんて形ないお金に形ない商品ものを交換するんだから、世の中なんてほぼ幻想だ。



 さて、この前。自分は夢にお金を支払った。いわゆる投資ってやつである…ギャンブルともいうが。
 それはいろんなことを経て、叶えたかった夢であった。
 しかし、本当偶然にその夢をつかみそうだった。それは一生もの。こんな強運すごい幸せとかんじた。甘言と残酷は刺激的な薬物だった。
 しかし、大金が必要だった。
自分がもっている金額じゃあ足りないほどだ。
 最初は母の力も借りて借金しつつ支払うつもりだった。
 だが、その夢との契約主は最初話を変えてきて、だんだんかかる金が増えてきた。もちろん、初期の自己投資はいとわないつもりだったし、そんな夢みるための残酷な現実でさえ受け入れる用意も出来てきた。
 そう、自分はたまたまつかんだ夢でそのためならば、客扱いされようがカモ扱いされようがと、おもっていた。
 捨て身ってやつである。
 自分は運命論者なので、そんな話、偶然を掴みとらなきゃとおもった。夢に金をかけてもいいと、母の反対を押しきって借金したのだ。

 しかしたった一週間、そんな夢掴もうとする夢から覚めた。

 そのきっかけは、受け付けてくれた親切な仲介者の作品。
見てしまったのだ。
 その人自身である絵を見てしまったら最後、もう、さっきまであった騙されていようがやり抜いてやるって気持ちがぐらついた。みるみるしぼんでいく。
 でも、かなしきかな。まだこの時、そのぐらついた気持ちを振り払おうと逃げ道がないように、後戻りできないように、お金はカード支払ってしまったあとだった。

 さて、借金のあと。
借金してしまったら仕方がない、と、割りきり夢から覚める絵を描いた人たちに大金を支払い続けて夢を掴む賭にでるか。
 自分が目の当たりにしたものを信じて夢の縁切りのため(キャンセル料が発生してるのだ)その金を支払うか。どちらにしたって支払うのだ。

……結果、自分は夢のキャンセル料を支払うことにした。
 借金したあとでも自分に嘘をつけなかった。
 しかも、借金した直後、影が怪しくたちこめて夢から覚めかけてるなか、ちょうどそのとき、同居人おもちさんが電話で力説でしてくれた。ちょっとまてよと。すごく愛をかんじた。
 それは、お金がかけようがなかった。かけても手に入れられるものではなかった。

 夢を見続けようが、覚めようが両方ともなんにも実在してない。それを覚めさせたものも、実態はない。たしかなものなんてない。 
それがなんともおかしな話だ。
 

 馬鹿の世迷言。
 私は、ネギ背負ってタレ塗りたくり炭火の前に立っている鴨だ。それぐらい、世間知らず。
 それでも生きてこれたのは、一人ではなかったから。
 この一週間、夢の中さまよって愛と経験と制作意欲と、自分は色々手にはいった。
 都合のいい話だが、借金はある意味、キャンセル料だけではないものになった。
  
 こんなことはもうしたくないけれど、いい投資だったのではないだろうか。



  

2021年12月16日木曜日

猪突猛進

 考える前に行動している。

 それが自分の性質だった。
 あんまり考えると、恐怖がするりと入り込んでくる気がするのだ。だから、立ち止まっていてもなにも始まらないという思想が、頭を支配している。

 あとは、幼少期に話すのが大変だった。うちなる世界に入り込むのは得意で、夢見がちになってしまった。これは能力といえよう。
 同年代が反射と反応でポンポン言葉を投げ合っているのに対し、投げられた言葉を自身の理解できる言葉に変換しないと言葉がでてでてこないのだ。
 だから自分が学生時代などに同年代が何をいってるのかさっぱりだったし、話してもつまらないのでほとんど話さなかった。
 対人がゆっくり時間がかかるのに性質がそんなんだから、自分が勝手にとっとと動くがあたりまえとなっていた。
 人と接することが増えこれが会話のやり方かと、ようやく覚えて表面上の会話、自分の考えを話すのも何の気なしにできるようになったが、身体が勝手に動こうとするのは、変わっていなかった。
 もともと、戦闘体質なのもある。ビビりだが、挑まれ、攻撃されたらし返す性格。前しか見ない戦闘体質。ある意味最悪だ。大人になって「男だったら殴ってた」と何回か言われたことがある。自分のことながらわらってしまう。 
 この戦闘についていうならば、対人ではなく、目の前に転がってきた事象に対して、である。なのに殴られ予備軍なのだ。
 
 この短い人生この中でそれで、死にっぱぐれたことが何度もある。
 交通事故、大病、借金、仕事や、学校の人間関係。
 思い返すと社会的には全然たいしたことはなし、大事にはなっていなかったが、あまりに生き急ぎすぎている。
 そう、自分はそんなでも生きていけるぐらい守られていたのだ。

 この前、家族や同居人になんの相談もなしに人生の大きな決断をしてしまった。
 母ととことん相談した上で勝手に決めたのだ。もちろん私の人生だが、まわりに影響がでないわけではない。かなり、きわどい選択をしてしまったのだ。
 でもその時にはもう、妄想大特急だったのだ。猪突猛進。まさに、猪。
 しかし、自分よりはるかに対人スキルが低く社会に厭世感を抱き生活している、弱い同居人のおもちさんにこれでもかってぐらい必死に止められた。泣きながらその選択の間違いを諭されたのだ。
 それは、愛だった。とても、大事にしてくれていることがわかったのだ。
 ゆめみがちで社会性が縁遠い自分。しかし、それでも生きていかなければならなない。
 だから無理やり社会性をつくろうとしたのだ。しかし、結果がとんでもないことになってしまった。そんな苦しい状況になっているとこを、今まで無関心でいることしかできなかったおもちさんが、必死で関係をつくろうとして語りかけてくれたことが何より感動してしまったのだ。
 突っ走るのちょっとまてよっ、とおもちさんが必死でとめてくれてやっと止まりました。。
 その時には、母との信頼関係は崩れてるし、1日で借金をしまくったあと。ボロボロだったが、それでも学んだこともいっぱいあった。

 自分は大事にされすぎて馬鹿だが、仕方がない。それを受け止めるしか。それに、側にいて頼りにできる存在がいるだけで自分はかなり、幸せだ。

 大事され、することはなかなか手にすることは出来ないのではないだろうか。それは欲しいとおもっても手に入らない。今回はそんなことを思ったのだった。

2021年12月10日金曜日

悪性腫瘍とどこまでも7

 手術、無事成功。

 朝がきて、看護師さんたちが様子を見に来る。手術箇所がどうなってるかわからないが傷口からチューブがぶっ刺さってるのはちょっと引いた。説明によると傷口からしみしみ液(通称しみしみ)が出るため点滴の袋みたいなものに血も混ざった液が、たまってる。
 あんまりみないようにした。あとは発泡スチロールの塊みたいなものを胸と背中にあてられてた。

 看護師さんはそれらのチェックにきてくれたのだ。朝はもう、お水飲んでよかったので飲んでいたがご飯は昼からだった。待ち遠しい…。
 夜はよく眠れなかったので昼ご飯までうとうとしていた。母が昼から来てくれるとのことで待っているとすぐお昼になった。麻酔のせいもあるのか時間感覚が全然ないのだ。
 昼は温かいうどんだった気がする。そんなことがいちいち嬉しかった。なんせ、昨日からなにも食べてないのだから。こんなに食べなかったのは人生初。
 いざさっそく食べて、その時のおいしさときたら………単純だけど身体が欲しがっていたのだ。全部は食べられなかったけれどおいしくいただいた。
 が、あまかった。
 おいしさが、わかるのに身体が受けつけない。つまりもどしました。全部。すっきり。看護師さんにナースコールで呼び出して急いで桶を用意してくれたので大惨事にはならなかった。看護師も、手馴れたもので「よくあるんですよー」だって。
 あ、そうなんですね。
 母が到着。ケーキをもおみやげに。素晴らしきかなまっ赤なイチゴのケーキ。もちろん食べました。そしたらすんなり戻さず食べれました。昼ごはんはもどしてしまったがケーキはおいしくいただいたことをいうと「やっぱ術後の最初の食事はケーキだね」。…はい、おいしかったです。

 その日のうちに身体がどうなっているが把握できるぐらいまで回復していた。今使用している糸は傷口がなくなるのと同じようになくなってしまうとか。医療の進歩だ、と感銘。あと、先生が術前に話してくれたけれど、筋肉の一部を切除したため身体が左右対称じゃなくなったとか。

 そして、母から聞いた一番驚いた話。
 まさかの昨日の手術中に、大規模な停電になっていたらしい。東京電力の火災?とかなんとか。
 まさに、胸がひらかれているその時停電にあい、たまたま一階にいた母はエレベーターが使えなくなった現場を目撃したとか。
 術後、待合室に来た先生はヘロヘロで、なんと懐中電灯をあてながら手術してくれたらしい。他の術中の患者さんのご家族も待合室にいたが、自分よりも難しい手術をしている患者さんは切ったがなにもせず、身体を縫い合わせたらしい。
 なんか、あのブラックアウトしてる間に世界は激変していた。
 そんな中の手術、先生、ホントにありがとうございます。


 手術後は糸でひっぱられ動かない身体を動かしもとの柔らかさまで戻す。最近の治療そうらしい、入院日数も少なくし、身体がいたいからと言って術前より身体が硬くなるのはあり得ないと看護師さんに念押しされた。はやく日常生活になれさせるらしい。
 しかも、この後、控えている放射線治療は両手万歳のポーズさせられるのだそうで身体をもとの状態にしてと強くいわれました。
 こっちとしても絵がはやく描きたいので一生懸命もとに戻しました。
 そしてその一貫で術後はリンパマッサージをするようにとのすすめでレクチャーを受けることになる。
 術後、リンパ節を切除した人はとくにリンパ浮腫になりやすいとか。傷をおったほうとは逆のほうがそれを補うため、負担がかかりリンパが、流れにくくなると看護師さんがいっていた。
 やさーしく三本の指で…ゆーっくりながしていく。たしかにずっと同じ体勢や絵を描き続けていると身体が痺れたように痛いのだ。身体の一部がないということは、そこを補い負担が他のところにかかる。こういうことかと納得。
 
 入院していて3日ぐらいたつ。これは診察している時からだが、まっ赤な格好しているのでいろんな人に話しかけられる。
 回診が早朝行われるのだが多勢のお医者さんが狭い病室にくるのはこわい。そこでもとにかく病気とは関係ないことを話される。
 チャキチャキの手術してくれた女医さんは「笑顔がいい」っていってくれるし、外科の先生はちょくちょく顔をみせてくれてお話しした。赤い絵をとても気にいってくれた。
 お見舞いにきた同居人のおもちさんをお兄ちゃんと勘違いしていたのは面白かった。
 看護師さんはもちろん、患者さんにめちゃくちゃ話しかけられる。着ている服のことはもちろん、術後にはイヤリングとかつけてキャップは自前だったので異質だったのだろう。あとはなんの仕事しているか、病室で描いている絵とかを見て話すことがかなりあった。
 歩くハッピー野郎である。
 血液の癌で、ものすごく辛そうなおばあちゃんに話しかけられた時は、ちょっとおどろいた。


 ほとんどベッドで絵を描いているだけだがたまにアイスを買いに散歩したりする。診察終了の時刻にアイスを食べるのは最高だ。
 夜中眠れない時は前回肺炎同様、やはり夜景を見に散歩する。18Fのラウンジで見る夜景はすばらしい。ただ、隠れてラウンジにいたため警備員の人にかちあい互いに驚いてしまった。
 驚いただけでほっといてくれるのは優しい。
 病院内は異質な空間でとても面白いのだ。
 おもちさんは仕事の帰り、母は毎日きてくれた。おもちさんは成城石井で、もーもーちゃーちゃーとフルーツをいつも買ってきてくれるし、母は一緒に夕食を食べたりした。仕事終わりだから短い時間しかいられないが、とても嬉しかった。

 病気を楽しみたかったし、非日常はとても有意義だった。

 入院最後の日には美しい日の出を18Fラウンジでみた。
 こうして長くて短い入院生活が終わりを告げた。

2021年12月5日日曜日

黒は色じゃあない

 高校生のころ。自分は美術系の総合高校に通っていて学んでいた。
 そこでデザインの授業だったか、個別講評のときだったか言われたのが
「黒は色じゃない」
という言葉だった。
えっ?である。いや、
はあ?ですね。

 当日の自分の作品は黒が基調だったのだ。黒を使えるなら、つまらないデザイン課題をやってもいいと思っていた。その矢先にこの言葉である。
 いや、いいたいことはわかる。黒は影と光を表してデッサンの……いや、わかんないかもしれない。
なんで?である。だとしたら死を表現してる喪服の色は?ガブリエル・シャネルが舞踏会に着たドレス色は?
 あれは何色?
デザインや美学生絵画で黒をつかうのはよくないって意味かもしれない。それも、わけわからん。
 黒はすごく強い。画面で使うって覚悟をもってやらなきゃ脚引っ張る。下手に使うとそこだけ浮いてみえる。絵のバランスがとれないってやつである。あと、うまく黒を使うことができる人であるなら作品は何でもカッコよくみえるのだ。それは理解できる。

 しかし、それ関係なく学生時代の自分は黒が好きだった。黒色を使い自分を表現したかったのだ。
 小学校6年のとき、自分に絶望し自分という存在を消すのに黒はやさしく寄り添ってくれた。それきっかけで黒に出会い、黒の魅力にとりつかれ描きたいと思うのはいけないことなのか?技術がないから?色と構成の勉強であるデザインの授業で色でない黒を下手に使うのはいけないことだから?

 それが今でもわからない。
そもそも、絵を描くテクニックに描きたいものが邪魔されていいものなんだろうか。学生は未熟だからといって好きなものを捨てなければならないのか。
 確かに自分の予備校時代もテクニックは半人前。絵もばたばた。なにいわれても仕方がない。
 でも、描きたいものがあった。あるのに受験美術ではそれが後まわしにされ、描くことも許されないという大前提は、なんなんだろうか。

 それってアートなんだろうか。
美術ってなんだろうか。
未だにそれがわからない。