2021年11月23日火曜日

悪性腫瘍とどこまでも6

 手術直前。
 全摘か、部分摘出か。


 10月半ば頃。入院日、肺炎の時とは違って厳かな気分で病院入口を通った。よく院内が観察できる。
 やわらかい日差しだった。かかりつけの病院は入口付近の窓が大きいからすごく明るい。そこは気に入っている箇所のひとつだ。
 今回の入院は大部屋で4ベッドだった。大人数はちょっと不安だった。

 肺炎の時とは違う階に通された。この病院、高層ビルのような造りだからか、すごく広々していて天界に連れていかれるよな感じがするのだするのだ。
 今回はなんの気なしに部屋の片付けをし、前回の入院時に経験したことをふまえ、目にみえるものを赤くしておいた(画材いれとかパジャマとか)。赤くないと落ち着かないのだ。赤命。
 看護師さんの院内説明もそこそこ、手術に必要なことのチェックをした。
 まず、パジャマ。当たり前だがワンピース型はだめ。これは手術関係なく病院の検査の時はかなり脱がされるので上下別のもの。これはひっかからなかったけど、真っ赤な新品のパジャマをきてきたので血とかで汚れるかも……といってくださったが、こっちとしては別に汚れても屁でもないので、「大丈夫です」とつたえると妙な顔をしていた。はは。
 つぎは爪。なんでも手術中、爪の様子とかで状態をチェックするらしく、その時の保護のため透明のマニキュアをはがさなければならなかった。除光液は匂いがきついため、別の会議室みたいなところが用意され、わざわざ除光液を買ってきてとりのぞいた。恐るべしマニキュア。
 さて、あとはなんとかなんだかんだクリアし落ち着いた頃。看護師さんと一緒に外科の先生が同意書をもってやってきた。
 全摘か部分かの選択である。

 そして、自分がだした結論は、
やっぱり部分摘出で転移が見られるようなら全摘、というものにした。
だって、もったいない気がしたから。最後の母の言葉がききましたね。それに転移してからでも遅くないかなと。

 それで同意書にサインし、予定をざっくり説明され(予定表を見せられたが、なにがいちばんショックってまさかのこの日の夜から朝昼晩、翌日の朝まで食べれないのだ。まぁ水は飲んでよかったのだけれど)
 薬剤師や、再度の手術前の状態チェックを終わられせ母たちが帰ったあとに今度は手術のマーキングをする。とにかくばたばた。手術が大変なんだなと実感しました。マーキングしてくれた先生は、外科の先生の補佐役みたいで、ベテランチャキチャキですって感じの女の先生だった(関西弁が似合う)
 先生たちを見ていておもったのだが、内科の先生は落ち着いている雰囲気があり、淡々と説明してくれる印象があったのに対し、外科の先生はとってもアクティブ。説明も軽い。そんな違いがおもしろい。
 「きんちょうしてる?そりゃするよねー」なんて話かけられた。
「手術のときわたしも立ち合うからねー」なんてはなしも。見てい元気になる人だった。

 夜、腹ペコをおさえつつ消灯。だが眠れない。いや、緊張してるんじゃなく身体が疲れてないので全然眠くないのだ。その後何度も寝返りをうち、散歩してやっと寝られた。

 次の日。手術日。真っ白なひかりが室内を包み込んでいる。看護師さんが来る前から支度し始めた(いつもそうなってしまう)。昼から手術のため朝ごはんなし、くう~。看護師さんたちが検温等すませ、同室の人たちの朝ごはんの匂いを嗅ぎつつ、家族をまった。
 手術には仰々しいが家族全員で立ち合うそうで朝早く近くのファミレスでたべてからきてくれた。ありがたい。
 昼まで他愛もない話をしてると、呼び出される。看護師さんに手術のため手術着を用意してもらい着替え、手術室の階にいくためエレベーターへ。
 変な話、そこまで見送ってくれた家族を見てそこではじめて「手術するんだな」って感覚があった。それまでなんか浮き雲のようだった。いや、そのときもそんな感じだったけど。

 そこからはなんだか映画のようだった。清潔で静かで重々しく、鉄の扉によって絶対しることのない、こんなところに人間がいていいものかって世界が広がっていた。厳かだった。
 気がついたとには、おもい鉄の扉の前、先生、看護師さんたちがかろうじて目だけが覗いた、いわゆるオペの格好、キャップとマスク、スモッグ姿であらわれた。
 しかも10人ぐらいいたんじゃないかな。たった一人の癌にこれだけの人数が必要なのかと、何度もあたまをさげてしまった。
 目だけだけど主治医と、マーキングしてくれたチャキチャキの女医さんも判別できた。笑顔だった。みんなさんも笑顔だった。
 
 そして、いざ手術室内へ。ベットに寝かされるとすごくまぶしい。とにかくまぶしい。もはや、誰の顔も判別できない。
 なんか話しかけられたがよく覚えていない。麻酔がうたれた。数を数えるように言われる。数えてる途中ブラックアウトした。
 と、次の瞬間起こされた。ぼーっとしてなんにも考えられない。ただ、「大丈夫?手術成功したよー」なんて言われた。うそっ、もう?はやっ!っていいたかった気がする。でも、口は重いし、全身が鈍いし次の瞬間には病室で家族や看護師さんに見守られてた。
 母に「痛い?大丈夫?」って聞かれた。「うん、だいじょうぶ」っていつもみたいに答えられた、でも、身体ごと痛みの得たいのしれない物体の中にはいっていて、耐えきれなかった。「うそ、いたい」ってすぐに口をついたような気がする。その唇と喉がとてつもなく渇いていた。
 家族は「そうだよね」っていっていた気がする。「今日はかえるね」それでもう記憶がない。再び深く深くおちた。
 夜中だとおもう。おきたての身体がうごかない。ちょっとずつは動かせた。たしか、さっき看護師さんに麻酔の説明されたような気がするけど…全然覚えてない。てか、めちゃくちゃ痛い。いたいのは色々経験したが、これははじめて。
 ああこれがからだの一部をとられたということかと、その時はじめて実感した。
 動けないからどうなってるかわからないが、身体がいろんなものにつながっている。この後しばらくいたい夜をすごした。
 3時間ごとに看護師さんが様子見してくれて、そのたび起きる。
 朝も近くなった頃、看護師さんに「麻酔が減ってないですね」と言われた。やっと気がついた。というか思い出した。麻酔はナースコールみたいに押せばつながっているチューブからながれてくるようになってたのだ。そんな説明もされてた気がする。しかし、いってる意味わからなかったため、しらないで一夜過ごしてしまった。ただただ残念である。
 麻酔のやり方がわかりやっと楽になってきた(もっと早く気づけばよかった…)。

 こうして、長いながい夜があけていった。



2021年11月16日火曜日

甘い蜜の部屋 +森茉莉

 中学生の頃、絵の参考にするためゴシックロリータバイブルを買い、読みふけっていたのが懐かしい…。

 もっぱら、その頃雑誌の華やかなカラーページしか読まなかったので、コラムなぞというものは触れもしなかった。
 が、月日が経ち、なんとなしにふとそのコラムを目にすることがあった。そのコラムは、夢みるロリータ少女のバイブルとなりそうな小説の紹介だった。そこに名がのっていたのが‘甘い蜜の部屋’である。
 
 そのあらすじは
 「美少女モイラと父親との愛の蜜を貯えた部屋。モイラが成長するにつれその美しさはより一層増し、出会う男たちを惑わしていく…」
 という内容だった気がする。
 いやあ、食いついたね。当時の自分。美少女、父、愛の甘い蜜、に惹かれてしまったのだ。ははは。

 年頃の自分を食らいつかせるには、十分すぎる言葉綴り。
 そして、なんとかためし読みできないかと高校の図書館で駄目もとで探す。

 そしたら、探せばあるもんだね。そう、自分の通っていた高校はマンモス校なのだった。図書館もデカイ。しかも、目当ての本は、全集の一冊で表紙は美しくと重厚ある本だった。手にしたときのかっこよさ。
 そう、森鴎外の娘、森茉莉さんとのはじめての出会いだった。

 一時間半かけて通学しなければならないなか、めちゃくちゃ重たい鞄にその全集も御伴に。でもその重さが苦にならないほどの可憐な本だった。
 最初は、なんとも言葉にしてよいかわからずただ、言葉の抜粋だけで物語を咀嚼した。それだけ森さんの文章が個性的なのだ。たどたどしく、彼女がおもい描き見たままの風景が文章になってる。ただ、文章中に流れている空気はきれいだった。
 このあとで、あとがきとかエッセイも読みあさったけれど、彼女はすっごくこだわりをもって生きた人で、それはまさしくアートだった。本物の贅沢を知る数少ない人物かもしれない。父との愛、彼女のナルシシズムあってこそ、男性では描けない真の美少女が、誕生したのだとおもう。
 それが主人公モイラ。この美少女モイラは、特に幼少期の森さん自身の思い出が題材なのだ。いわば、森さんの化身。彼女の、美しさ至上主義の性格がモイラという夢を作り上げた。その贅沢な生活や人間模様、少女の見る幻想の細やかな描写といったらもう……。なんといってもこれを書き上げるのに8年以上かけたらしい(そもそも文章を書くのはのろまだったし、面倒くさがりだったそうだ)。

 彼女には生涯、夢みつづけられる才能があったのだ。
 学生時代、美少女やわがままな世界を描くのに、どれだけ役にたっただろうかわからない。それだけ、当時の自分は、彼女の世界に溺れたいとおもったのだ。
 
 そう、この本はいわば自分にとってバイブルである。



2021年11月12日金曜日

あなたは女生徒 +太宰治の女生徒について

 彼の作品に初めて触れたのは、高校生1年生の夏。


 読書感想文の課題図書のひとつだった。‘女生徒’。その言葉だけに惹かれた。
 もうそのから、美少女主義だった自分にとって学校のつまらない読書感想文に華がそえられた気分…単純である。
 反応が題名が先、作者があとになってしまったが、確認するとなんとあの太宰治。当時から偏愛傾向な読書だったので、これがはじめましてである。

 しかし、驚いた。美術部の活動で夏休みだってのに電車で暑いなかわざわざ赴く際、お供に読んでいた。
 あまりにも可愛らしく流れるような心理描写……電車の中に関わらず、彼女の中に入り込んでしまった。 
 えっ、なに?これ書いたの女性?ってぐらい。いや、繊細な男性だからこその描写かも。
 美少女を描いている身なので、そういうのを気にしてしまうのだが、おんなのこ描くのって男性のほうがうまいと思うのだ(勝手な思いです)。
 なんかその男性のほうが客観的目線でここ、絶妙かわいい!!ってところをピンポイントに抑えられてる気がするのだ。目とか、手とか、ビミョーな表情とか。そう、色香が美味しい………なんか変態っぽい。
 女性は自分の内面がでちゃうのかなーって。でも作品ってそもそも意識するにしろしないにしろ、自分なのよね。でも、女性の作品って内面的だなーって感じる。

 それにしたって、太宰治が作り出したの女生徒は、あまりにもおんなのこのそれである。しかも、なんでもないふりをしながらあの年頃特有の、ジェットコースターなみ感情の起伏の描写はすごーく共感してしまった。とにかく彼女の心の中は彩り豊かな言葉で、かわいく儚く脆い。
 「この風呂敷を褒めてくれたかたに、お嫁にいく」なんてなんてまぁ!である。
 
 それで、この話がいたく気に入り一回だけのつもりが、何回も読むことになる。
 美術部のコンクール課題である‘本をもとに絵を描く’っていうのにも女生徒を題材にした。なんでもない日常を少女の目を通すと色っぽくなる。それこそ男の妄想かもだが。
 結果、私的趣味色つよめで受からなかったけど。でも、満足。

 結局、何度も読みすぎて買うことになる。
 それで他の作品も読んでみた。
‘きりぎりす’は、めっちゃ身に積まされる話だった。‘饗応夫人’は転がるような喜劇と悲劇だった。
 なんともいえない哀愁は全作品にながれている。そんな感じがした。
 彼の書く作品の女性たちは、切なさ愛らしさ賢さそして、愚かさと寂しさその漂う感じは他では見たことない………日本画の色っぽい女性像を、言葉で表現できることが感銘である。

 「悪いのは、あなただ」

 女生徒の言い放ったその言葉が好きである。




2021年11月8日月曜日

悪性腫瘍とどこまでも5

 前回、抗がん剤投与のため、免疫が下がり肺炎になってしまい生死の境を経験したがが、なんとか生還。面白い入院体験をし、満足しながら無事退院した。

 その後。

 肺炎入院のため一時ストップしていた抗がん剤がスタートした。
 が、今までどおり病院に電車で行き帰りする体力がなくなってしまったのと、またいつどこで感染するかわからないのでもっぱら車の移動になった。

 車の移動は面白い。自分と関係なく世界が動く。投与のあと車で、コンビニで買ったスイーツを食べれるし。プリンとかアイスとか。まだ味覚異常はあるし舌はざらざらするしで、選り好んでたべるが、車で食べるスイーツはなんか特別感がある。その後すぐ寝ることもできる。贅沢。
 で、抗がん剤投与でベッドでの投与も経験した。興奮して全然寝れんかった。相変わらず仕事熱心な看護師さんたちが懸命に働いている。
 抗がん剤はもう投与なれしてるけど、あの匂いだけは慣れんかった。アルコールのような、またそれとも違うような喉まで締め付けてくる匂い。
吐き気がする。投与されると身体がそれにみたされるのが直にわかって、流そうと水を大量に飲んだ。そう、抗がん剤をうつと鼻も異常に敏感になるのだ。病院内では見舞いの花束禁止。いたるところに注意喚起のポスターが張ってある。最初そのポスターみたときすごいなっておもったけど事実、病院のエレベーターにのり、たまたまいた見舞い客の香水が強すぎて吐き気が襲ってきた。注意喚起、納得である。

 あとは、医師の投薬前の説明してくれたが、抗がん剤うつと後遺症としてのこるかもしれない手足の痺れがあるそうで。実際痺れが起こったが、あんまり激しくないので気にしていなかった。しかし、絵を描き続けていたり、掃除機かけたりすると、痺れが激しくなり、普段は寝てればなおるのだが、あるときは寝てても辛くてさすがに看護師である母にマッサージを頼んだ。するとすごく痛んだ身体がゆっくり治っていった。なぜか涙してしまった。

 最後の抗がん剤はまさかの自分の誕生日だった。抗がん剤のあとにはよく、近くの美味しい定食屋で、がん治療しはじめてから好物になった、金目鯛の煮付けをたべた。すごく味わい深い。
 いつの間にかあっという間に1年過ぎている。今まで、抗がん剤治療もたのしくしてきたが、やっぱりもう射たなくていいっていうのが一番清々しかった。たぶん、抗がん剤で弱ってしまう人がいてもおかしくはない。それぐらい大変だった。


 そして、抗がん剤の効果の確認のために検査し、久しぶりに外科の先生の診察だった。状態は良好
。5センチ近くあった腫瘍は1センチほどに縮んだ。恐るべし抗がん剤の威力。先生も「これなら手術できるね」って言ってもらいました。よかった。
 が、問題はここからであった。乳房を全摘か残すか……。
 最初先生は「全摘のほうが安心だから」っていつものようにかるーくいってきた。自分は「あ、そーゆーものなんだなあ」ってぐらいで深く考えなかった。だから別に全摘でもよかったのだが、しかし、母と同席した看護師は固まってしまった。すかさず看護師さんが「入院日にまた伺いますね」と、助船をだした。
 あとで、母に聞くと「そんな、きれいなものを残せないなんてもったいない」といってた。母のほうが自分の乳についてちゃんと考えてくれていた。
 先生によるとリンパ節にも転移いていたので部分切除だと再発リスクが高いらしい。だからの全摘がおすすめといっていたのだ。
 なんとも、癌になってからは、短い人生のなかでいろんな初めてのことをたくさん経験したが、こんなに簡単に人生を左右する大きい選択が訪れるなんて思ってもいなかった。
 とても漠然としていた。