特に帰宅時間帯の。
疲れきった顔でスマホをいじる。眉間にしわ寄せて寝ている。
そして耳にはイヤホン。
この空間の人間との関わりの遮断。
わかる。凄くよくわかる。
それでなくても疲れているのに、コロナ禍なのにこの密な電車。人混みはなにもしていないのに疲れるのだ。
学生時代の頃、いわゆる都会の駅は人と人がぶつかり合うのは当たり前でなかには狂気かな、わざと体当たりしてくる人もいた。
人が集まるとその人個人ではなくなり、また新たな物質になるのだ。
話が逸れた。
とにかく、人混みは自分は苦手だ。人間は情報量が多いのだ。
コロナによって人と人が関わらなくてよくなり、自分にとってはある意味平和になった。
だが、それによって人々は関わりかたまで忘れているのではとかおもったり。
急に人を殺したり、自殺したり。そんな事件。
人と関わらないということは自分自身が分からないということと同義だと思う。
人と関わってはじめて自分を知るのだ。
平和な分、内在の悪は膨張する。まるでバランスをとるように。
特に若い人、子供とかは人と関わらないでもいいように進化した世にいるのだから、
関わる意味とか関わりかたとか分からなくなってしまうのでは?
と、勝手に妄想したり。
恋愛も友情もとうに娯楽と妄想になったものと思うが
今のご時世、清潔第一とかなんとかいっていたらほんとの恋愛も友情もできないのでは?
だって人間は生きているんだもの。
汚れて当然。汚なくて当たり前で、だからこそ美しいのではないかな。とか、そこはすごく古い価値観の自分。もう新しい価値は出来上がっているのだ。
でも、関わらないことの新しい美しさはもう既に誕生してるのかもね。
まあ、少子化問題は進むと思う。
そして、技術は進歩するのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿