2021年8月27日金曜日

0と1の世界

 ‘現代は0と1できている’。そう、高校生のとき、確か養老孟司さんの著書でよんだ。

 現代の都市は二進法、つまりコンピューターとおなじ0と1の情報できている。(ほとんどのものが0と1でできてるってすごい世界観だ) 都市発展のスピーディーさにあわせて、コンパクトにされた情報が重要となった。それにあわせて情報都市は、驚くべき早さで作られ安定した。安定して人間が増えた。人間が増えたためコントロールしなければならなくなった。だから簡略化した0と1が必要。いや、脳の安定したい性質によって0と1がつくりだされたのだろう。0と1が織り成す情報は変化しない。情報を扱う人間が変化するのだ。しかし、脳は安定を望む。脳が安定を望んだ結果、恐怖、わからない、得たいの知れないものをできるだけ排除し、脳がコントロールできることを無意識に望んだのだ。

 人間は0と1の中で進化、あるいは退化した。0と1のなかで感覚は必要なくなり淘汰、あるいは衰えた。0と1は単純。誰にでもわかるように、変化しないのだから。でも0と1は結局、人間がつくりだしたもの。0と1の外には世界があり、0と1をうけとれないものもあるし、影響しないものもある。そう、0と1の外側が、人間は衰えてしまったはずの感覚が刺激を欲している。安定を望んだはずなのに、刺激がなければ生きていけないのだ。0と1 と、人間の間で不具合をおこし不調和になるのだ。そりゃそうだ。変化しつづけ、永遠に不完全なものが人間。刺激が欲しいのが人間。でも、その人間が0と1が都市をつくっているのもまた、事実。

 こんな話してると、映画‘マトリックス’をおもいだす。実はほんの数ヶ月まえに見たばかりなのだ。名作だって聞いていたけど。はじめて見て、いやぁ、なるほどこれを2000年につくっていたとは!と、感動した。主人公のネオも端正で美しかった。登場人物色っぽかった。話が逸れた。それは物語の重要な色づけとして、今はとりあえずヨコにおいておこう。

 あれこそ0と1の都市と、人間が捨てた感覚や得たいのしれないものがいる世界と、創造で全てをこえる可能性。あぁ、これぞ現代の世界観。0と1の世界で生きなければならない人間の可能性だと。もちろん、0と1は人間が作り出したのだ。人間の脳は安定を求める。しかし、同じぐらい感覚が刺激を求める。それは本能。原始的なもの。でも脳は、無意識にバランスをとる。0と1の世界は安定。マトリックス…人間が安定を求めた結果、機械(これも安定の副産物といえよう)が作り出した虚構の世界。それに対抗するように荒々しい訳のわからない感覚の世界を求める人間。刺激、本能がなきゃ生きられないのだ。あぁ、これぞ人間の心理。進化した人間の矛盾だ。前頭葉の未発達な、他の動物はこんなこと考えないし、必要がない。人間はずっとこの矛盾のなかで生きつづけなければならないのだ。

 心理があるのに、すでにつくられてしまったのだから仕方がない安定のマトリックスの都市。矛盾に‘希望の光’があるならば、バランスと未知なる創造性だろう。主人公ネオは安定しすぎた世界に違和感を抱き感覚をもとめ、創造で仲間を救済に導いた。そう、創造はどこまでも自由。現実を超越した身体感覚。あれは、体験してみたい。創造を豊かにするのはいつだって、安定した世界ではなく心理と刺激だ。外に宇宙があるように、人の内にも宇宙はあるのだ。それが具現化できるのなら、きっと楽しいだろう。




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