2020年12月11日金曜日

甘いチョコレートの部屋

 本は読むが、あまり多くの本を読めないあかぐまは狭く、ある意味深い趣味傾向である。気に入ったものを幾度となく読むのだ。また、この著者の本がいいから違うものも読んでみようとはならずその著者のその本だけを読み続ける。多分世界観に浸るのが好きなのだ…そんなあかぐまが、めずらしく著者に感動し小説のみならずエッセイまで買ったそのひとが、森茉莉さんである。

 ずいぶん後で知ったのだが森鷗外の娘である。最初に出逢い、はまった彼女の小説は”甘い蜜の部屋”…完成するのに10年かかった長編小説である。彼女自身の幼少の頃の生活経験、感性を交えつつ美しい少女”モイラ”の人生に絡み合う人間模様覗かせてくれる、そんな小説だ。緻密で情緒的な描写がはまるきっかけだが、彼女の著者あとがきにも興味ひかれてた。

 「そういう私にも、ドコンジョーとヤッタルデで取り込むことがたった一つだけである。それは自分のたべるものをこしらえることで、目下三日おきにこしらっている常用のお菓子にはドコンジョーで立ち向かっている。板チョコを好みのこまやかさに砕いて、次に角砂糖を下ろし金で三分の二程すりおろし、その粉を砕いたチョコレエトにまぶす。残り三分の一の角砂糖を、板チョコと同じ位細かさに砕いて、それも混ぜるのである。切り出しで割るのに、むずかしい大きさの好みがあるので、それをこしらっている間は全ドコンジョーがその作業に集中している。食事の支度も同じだから、ずいぶん時間もかかる。私の職場である、寝台の上を見た人は例外なく、内側が白で外側が薄クリイム色の中型ボオルに盛られたチョコレエトを不思議そうに見る。見たことのないお菓子だからだ。…というわけなのでお菓子製造のほうは、小説よりもドコンジョーでこしらえるがたいして辛いとは感じないのである。」

お分かりだと思うが、チョコレエトを題材にしたエッセイ集にその名が乗るほど彼女は、チョコレイトを嗜好していた。彼女のエッセイには”瑞西、英国製の板チョコレエト”がよくあらわれる。以下、あかぐまの勝手な妄想だが、彼女のエッセイのなかには硝子もよくでてくる。美しい硝子に自己投影しているようだ。書くことは苦戦していたようだが、硝子の光に目を当て、チョコレエトを齧り、悦に入り自分の部屋で緻密な世界観を仕上げたのではないだろうか。彼女は自分の生活を丁寧に愛していた。そんなところが素直に共感できるし、彼女の文章に浸りたいと思う。そしてその世界観を創る一助になっているであろうチョコレイトに感謝しつつ、あかぐまは部屋でチョコレエトを齧る。

甘い蜜の部屋 参照

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